Books – JUiCANDSEA

本は売り方

ネットで本の売り上げは毎年増加している。
しかしながら町の本屋が減っていっているということは売り方の問題ではないのか。

朝、出勤前に購入したい、おすすめされたい、知らない世界を知りたい、古本でやすく手に入れたい、購入時になにがいいのか相談にのってほしい、ざっと読んで購入を決めたい、そういう町の本屋に司書がいれば本は売れるのではないか。

立ち読みしている人に注意したり、追い払ったりという誰でもできることしかしなかった街の小さな本屋があったが、とっくの昔に潰れてなくなった。
タダで読まれたくないという非論理的な直情だけで行動した結果、街には必要のない存在になった。

ジュンク堂ははやくから店内に椅子を設置して、座り読みまですすめていた。
技術書や専門書は中身をちゃんと確認してから買いたいという要望があって、それにマッチしたため、結果的によく売れた。
技術書や専門書は高額である。
かつ確実に購入する層がいる。
かつ多数買いする。
立ち読みでは読みきれない。
どうしても手元に必要である。
ジュンク堂はリアル書店が「商品を売る場所」から「知識と体験を提供する場所」に書店を定義し直したため、成功した。

品揃えもあまりない、読みたい本もない、惰性にまかせて開いているだけの本屋が生き残るのに、ただただ店を開けておけば良いという金あまりの時代ではないし、もうそんなぼんやりした時代は来ないかもしれない。
専門書も技術書もおけない、安い、流行りの本や文庫本しか置けない本屋だとしても打つ手はいくらでもあるはずだ。

購入を誘発するyoutube動画やショート動画はネットにたくさんあふれている。
三宅香帆さんのようなアイドル的文芸評論家も現れている。
文芸評論家がオールナイトニッポンのDJをしたりする時代だ。
そこにヒントがいっぱいあふれている。

実際、ネットでは本は年々売れているという事実がある。
本を読みたい人が減っているとは思えない。
人口自体は減っているが、生涯学習の風習は以前より強くなっているので、LTVは強いはずだ。

旧態依然とした売り方に問題がある、研究不足である、工夫をしない、それだけのことだ。
本離れなどしていない。

THE AMERICANS

ロバート=フランク氏の写真集『THE AMERICANS』をまだデザインを始めたばかりのはるか昔に出会えたのは幸運というよりほかない。

モノクロのダイナミズムといえばいいのか。
大陸国を感じる構成は同じダイナミズムな写真をとる森山大道とはまた違う雰囲気をかもしている。
まだ未見の方はぜひ。
ところで表紙の違う、白の『THE AMERICANS』をアマゾンでみるが、中身がちがうのか。出版社が違うからか。

失敗の本質

今年は戦後80年ということで、戦争に因んだ記事を多くみかける。
戦争をどう捉えるか、識者の視点はさまざまで、学者でも経験者でもない一般人は自身の見解をどうしたらよいか、そうそう答えがだせる代物ではない。
淡々と事実を正確に知り、どうしたら戦争にならないで済むか、小さな行動を積み重ねるしかない。
語る人はなにかしらのバックボーンがある。
その部分をしっかり確認して、意見を観察し、精査し受け止める。
意見をきかせて、こちらをどうしたいのか、このあたりのゴールから再度、意見を精査しなおす。
同じ構造は組織にもあるので、どうヨコテンしたらよいかを考える。

失敗の本質はそこにある。
再読の価値がある著作なので、秋に入るこの時期に新装版をもう一度じっくり読んでみる。

書いたら燃やせ

シャロン・ジョーンズの「書いたら燃やせ」は本というより、ノート。
たくさんの質問が書いてあって、そこに書き込めるようになっている。
質問はいろいろ事細かにあって、答えようがない、記憶にない、決めていないという内容が多々ある。
自分をより明確にする、セルフブランディングにはいいだろう。
考えて生きることは大事なので、ちゃんとこういう質問について考えて暫定的にでも答えを持っている方がよいとおもう。

3回読む

著名な発信者の話を聞いていると重要だと思った本は3回読んでいるとのことである。

このレベルの方でさえ、3回読んでいるということであれば私はまだまだ修行が足りないとおもった。

せめて3回は最低読んでみよう。

著名な発信者とは文芸評論家の三宅香帆さんのこと。

本のルッキズム

なぜ本の表面をツルツルにコーティングするのだろう。
ほとんどの本はツルツルコーティングしている。
積んでいくとある程度で滑って崩れる。
ちょっと斜めになっても崩れる。

コーティングしていなければある程度耐えて崩れにくくなる。
結果、エントロピーが上がらずエネルギーを投入する必要もなくなる。
コーティングした方が高級感がでるとか、売れるとか、しみがつきにくくなる、痛みにくいということなのだろうか。
そういう商業主義でルッキズムがほとんどメインであるという現実はとても嘆かわしいことだ。
豪華本やそういうルッキズムを目的にした本だけ、コーティングをすればいいのに、残念である。

隕石の寝床

『隕石の寝床』は松浦弥太郎さんが100の小物のひとつにあげている小説である。

内容はかかれていない。

エログロナンセンス系の戯曲だそうだ。

読んでみようとおもったが古本で5,000円くらいする。
売り切れ前のある本屋では50円だった。

中身がおもしろいかどうかがわからない本に5,000円はどうも気が進まない。
ふつうに5,000円くらいの本は購入するがこれに関しては躊躇する。

1,000円ならばポチッていたかもしれない。
図書館にもない、デジタル化もされていないので一般的な価値がそれほどないのかもしれない。

なぜ松浦さんは100の中にこれをいれたのだろうか。

ほんとうに自分をしってほしい100の小物のひとつなのか。

手に入らないという希少なものをもっているという意味でのエエ格好しいなのか。

5,000円で先ほど別の本を購入した。

誰かの承認欲求のためにお金を使うのはちょっと気がひける。

密かな結晶

小川洋子 著
講談社文庫

閉ざされた世界で何かを失っていく表現が好きな作者の世界観は
とても静謐できれいだ。

失うということはどこかきれいな感じがするのはなんとなく感じる。

ペロー童話集

天沢退二郎 訳

ペロー童話は民間伝承からえた物語集のうちでも最も古いものといわれている。
いまでも広く語られている
「眠れる森の美女」「赤ずきんちゃん」「青ひげ」「長靴をはいた猫」「シンデレラ(サンドリヨン)」を掲載している。

長靴をはいた猫について
天沢退二郎訳と池田雅之訳はいろいろと違っていて
比較しながら読んでみるとおもしろい。
たとえば冒頭のシーンの長男に相続されるものでは
天沢訳では水車、池田訳では粉挽き器、また楠山正雄訳では風車になっている。

おそらく水車、風車は水車小屋のことである。
水車小屋は不動産をさす。
つまり不動産は長男に
ロバは動産で、次男には動産を譲る。
猫は用途不明で三男にはのこりのものをということか。

しかも猫の肉は食べてのこりはマフ(両側から手を入れて暖めるグッズ)にするしかないと
三男にいわれては猫にしてもたまったものではない。

この辺りの残酷さ、サイコパスさは昔の童話の醍醐味でもある。
平和で毒の少ない時代なので、読んでいていろいろ興味をそそられる。

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