南北朝時代から続く水石(すいせき)という日本の伝統文化がある。
盆栽のいきつく先らしいが、あまり話題になった記憶がないので一般的にはなじみがないようにおもう。
中国から伝わった鑑賞石が日本独自に発展してきたようだ。
意識してみると日々見える風景も違ってくる。
日常のなかで石を意識してみるのもおもしろい。
コンテクストの読み解きと情報の最適化を最適解から導くアートディレクションとコンテンツ制作 南北朝時代から続く水石(すいせき)という日本の伝統文化がある。 盆栽のいきつく先らしいが、あまり話題になった記憶がないので一般的にはなじみがないようにおもう。 意識してみると日々見える風景も違ってくる。 プリントパックは指定された印刷物を印刷してお届けるする会社で、デザインしたい商品から進み、デザインテンプレートをお選びくださいという案内はするが、どの商品が適切か、どのテンプレートがいいか、文章はこれ、ロゴはこれなどの作業は誰かがプリントパックに指示しないといけない。 通常はデザイナーか、それに準ずるデザイン業務が理解できている人がする。 ここでジャベクリしている新聞記者は間に中抜きがいてお金を抜いている、とイメージをもっていて、一枚かましているのはおかしいとおもっているのだろうが、デザインをバカにするのもいい加減にしなさいといいたい。 じゃあ、新聞を印刷する印刷工場と行政や政府の間に記者だかなんだかを一枚かましているのはおかしいといったらよいのか。 プリントパックやグラフィックは対人ではない。 町の印刷やさんは今まで通りで、うまくやっといてといえばやっといてくれるかもしれないが、そもそもネット印刷をつかうのは極力安くできる、人を介さない、夜間や休日でも対応してくれるという利点があるから利用するのであって、町の印刷やさんでさえ、増刷りでない限り、レイアウトを変えてや、文字を修正して、ロゴをいれて、写真をかえてなど、製品自体を触ることはしない。 維新を応援しているという意味ではない。 これを中身のすりかえでうんぬん、というとまた別の話がでてきたりするが、それはそれでその話をすればよい。 話をまぜるのな、である。 図を書きながら、遷移をお互い見ながらしゃべればよいのか。 そんなにも新聞記者はバカなのか。 ネット印刷とデザイナーとの関係をちゃんと理解していたら、余計な話に迷い込んだり、一枚かましてなどの話にもならないのではないか。 時代の流れ、社会の仕組みについてオールドメディアは明らかについていけていない。 新聞記者が指摘する点はあくまで、その額が不自然だったり、役割がおかしい、流れがおかしい、使ってはいけない内容で使用されているなどの点で、全く指摘すべきことを精査していないから、ああいうわけのかわらないおしゃべりになってしまうのだ。 その割に新聞記者の給与は異様に高いので、俺たちが社会を回しているとおもいこんでいる。 勉強の意味を説明しないといけないくらい、飽食の時代ということか。 『精神の生態学へ』を読む人があまりいるとはおもえないので、こういう動画で説明してくれるのはありがたい。 ネットで本の売り上げは毎年増加している。 朝、出勤前に購入したい、おすすめされたい、知らない世界を知りたい、古本でやすく手に入れたい、購入時になにがいいのか相談にのってほしい、ざっと読んで購入を決めたい、そういう町の本屋に司書がいれば本は売れるのではないか。 立ち読みしている人に注意したり、追い払ったりという誰でもできることしかしなかった街の小さな本屋があったが、とっくの昔に潰れてなくなった。 ジュンク堂ははやくから店内に椅子を設置して、座り読みまですすめていた。 品揃えもあまりない、読みたい本もない、惰性にまかせて開いているだけの本屋が生き残るのに、ただただ店を開けておけば良いという金あまりの時代ではないし、もうそんなぼんやりした時代は来ないかもしれない。 購入を誘発するyoutube動画やショート動画はネットにたくさんあふれている。 実際、ネットでは本は年々売れているという事実がある。 旧態依然とした売り方に問題がある、研究不足である、工夫をしない、それだけのことだ。 これはこれでよい! オールドメディアは国民に監視される側であるとそろそろ気づいた方がよい。 SNSが機能をしている時代に権力を監視する役割はオールドメディアにはすでにのこっていない。 最新のニュースはスマホが教えてくれる。 片山さつき財務大臣に反論も意見もいえないマスゴミの記者は専門性さえももはやないのだという自信喪失をもっとした方がよい。 オールドは老害という意味で呼んでいるということにさえ気づいていないというのは幸せな人生だ(古美門研介風)。 相手に指をさして発言する人がいる。 非常に失礼で、人に指差しを奨励している国は探してみたが見つからない。 玉川くんは思想やイズムを振りかざす前に、人としてちゃんとすべきである。 AIはこういうことができるのでおもしろい。 自民党のサイトをみると会見についてはいずれも動画と書き起こしの文字を表記するようになっている。 こうなってくるとじゃーなりすとの方々は切り抜きや編集、たとえば発言者を明記しないことにより、言った側がどちらかわからないようにして、バレた時はそういう捉え方をする方に問題がある、双方誤解があったなどとといった、長年培われてきた論理のすり替え法や偏向報道編集技術が使えなくなるではないか。 これではじゃーなりすとや大越は次の世代に、せっかく育ててきた荒技を伝承ができなくなる。 これこそ民放や大新聞社やけんすけは自民党に、報道編集の自由について大々的に抗議すべきである。 オールドメディアとけんすけはいま死活問題に直面している。 老害で終わるか、けんすけと言われてバカにされるだけで、晩節を汚すか。 t.A.T.u.を久しぶりにyoutubeでみた。 それよりもt.A.T.u.の楽曲がとても好きで、YES復活の仕掛け人、Trevor Charles Horn(トレヴァー・ホーン)がプロデューサーで作曲者だったというのはとても納得ができる。 YESをあまり知らない人には『ジョジョの奇妙な冒険』のエンディング曲、『Roundabout』のあのミュージシャンといえばピンとくるかもしれない。 YESはとてもややこしいバンドなのでここでは触れないが、今も現役のバンドというのは感動的である。 ちなみにTrevor Charles Hornはラジオ・スターの悲劇で知られるミュージシャン、バグルスのメンバーで作曲者である。
投稿者: duckman
水石文化
中国から伝わった鑑賞石が日本独自に発展してきたようだ。
日常のなかで石を意識してみるのもおもしろい。記者だかなんだかを一枚かましているのはおかしい
プリントパックは印刷するだけだ。
行政や政府の発表物はたいていpdfでまとめているので、それを事務の人が新聞の印刷工場に送信したらいいので、記者はいらないはずだ。
適当にやっといてと電話して丸投げするものではない。
瑕疵の際の責任問題がでてくるから当然だ。
ものの実態をしらない記者はもうすこしちゃんと調べて発言した方がよい。
こういうオールドメディアの無知が最近異常に目立っていないか。
おそらく脳が硬化していて、数十年前の『8時だよ全員集合!』あたりでとまっているのだろう。
あれはおしゃべりにしかなっていない。
新聞記者の月給は一般給与くらいにして、節約生活をさせた方がよい。
思い上がりが学びを忘れるのだ。学習3
グレゴリー・ベイトソンのいうところの「学習3」をちゃんと説明してくれる大人は社会に必要である。
ただ、結局そうなると頑張って本を読む体力がつかなくなるので、学習3の段階にはいけなくなる。本は売り方
しかしながら町の本屋が減っていっているということは売り方の問題ではないのか。
タダで読まれたくないという非論理的な直情だけで行動した結果、街には必要のない存在になった。
技術書や専門書は中身をちゃんと確認してから買いたいという要望があって、それにマッチしたため、結果的によく売れた。
技術書や専門書は高額である。
かつ確実に購入する層がいる。
かつ多数買いする。
立ち読みでは読みきれない。
どうしても手元に必要である。
ジュンク堂はリアル書店が「商品を売る場所」から「知識と体験を提供する場所」に書店を定義し直したため、成功した。
専門書も技術書もおけない、安い、流行りの本や文庫本しか置けない本屋だとしても打つ手はいくらでもあるはずだ。
三宅香帆さんのようなアイドル的文芸評論家も現れている。
文芸評論家がオールナイトニッポンのDJをしたりする時代だ。
そこにヒントがいっぱいあふれている。
本を読みたい人が減っているとは思えない。
人口自体は減っているが、生涯学習の風習は以前より強くなっているので、LTVは強いはずだ。
本離れなどしていない。決戦は金曜日
オールドメディアは国民に監視される側
ニュースの解説はSNSでもなんでもネットには載っている。
したはって、新聞はいらない。
したがって、テレビをつける必要もない。
喧々諤々でやりやってという政治家とマスコミのプロレスイメージをイソ子などオールドはもっていそうだが、そういう昭和な時代はもうとっくに終わっている。
コンテンツだけで勝負したらどうなんだ。
SNSはもっとオールドメディアを馬鹿にした方がよい。
youtubeをみたあと、食事時にリビングで久しぶりにテレビをつけたら、バラエティ番組で出演者がおもしろ動画をyoutubeからひらってきてコメントしている。
さっきみたYoutubeで見た動画だ。
なんだこのコント状態は。指差しマナー
どの国の文化でも非常識で不敬とされている共通のマナー違反だ。
指差すことでマウントをとっているのか、頭の中にある種のヒーローが浮かんでいてそのつもりになっているのかもしれないが、そういうのも世間はちゃんとみている。
議論の中身で勝負すればよい。負ける気がしない
負ける気がしない。オールドメディアの死活問題
ダッチロールの絶妙な角度とか、あいまいにする方法などの数々の伝統芸が歴史の中に埋もれてしまう。
自認賢者の代表なら、このピンチをはやくチャンスにかえろ。
その人生は楽しかったのか。Trevor Charles Horn
彼女たちのスキャンダラスな演出がいいのか悪いのかにはあまり興味はない。
楽曲のドラマチックさがほかのアーティストとは明らかに違う。
レズっぽい女の子の演出も世間に受けたのかもしれないが楽曲のレベルが明らかに違うのだ。
『Roundabout』のときはTrevor Charles Hornはいないので、アンダーグランドなプログレ感の強い感じのバンドだったが、Trevor Charles HornがYESを手掛けて以降はよりポップにかつ、ドラマティックなっている。
いずれにしてももうすぐ80歳。素晴らしい。