勝者の指標、鉄の投入量

Reading Time: 1 minute最近、経営実務や分析の世界でKPIが話題になっています。KPIとは重要業績評価指標のことで、どういうものさしをもって評価するかということです。
指標をもたずにやみくもにがんばるのではなく、指標を設けて定量化し、比較検討し、その上で施策をだそうということです。
これは今に始まったことでなはく優れた戦略家は以前からしてきたことです。

かつて日本陸軍の参謀で戦略家の堀 栄三は『大本営参謀の情報戦記』で当時の戦闘の趨勢をはかる指標は鉄量であると記しています。
戦争に勝つのは戦場に投入される鉄量が多い方だということです。
この発見で日本軍はどうしたか。

日本は鉄量戦では勝てないので、鉄量に影響されない戦闘法に切り替えたのです。
これをビジネスの世界で考えると、ビジネス弱者はいまある勝者の指標を明確にして、勝者の指標そのものを無効化する戦略をたてる、違う指標で戦うということになります。
そういう目でみていくとなかなかおもしろい現象を最近特にあちらこちらで見ることができます。
ここでそれを明記するのは戦略的に正しいとは言い難いのでふわふわさせて切り上げたいとおもいます。

データの量、情報の量と生活の質

Reading Time: 1 minute世界のデータ量は年率で60%拡大しています(IDC社推計)。
データと情報の関係をIDCはどう考えているのかわかりませんが、データがないことには情報にならないので、データ量が増えているということは情報もいくらか増えていると考えるのが妥当かとおもいます。
その情報の中にはバッファローのルーター設定詳細の、ある変更でうまくいったこととか、プラズマディスプレイとWindows10での相性の問題とか、Wordpressでのプラグインでのちょっとしたチップスなんかも含まれているのでしょうか。
私はそれについて誰にも報告していないし、検索してもでてこないので、多分含まれていないはずです。
どういう算出方法かわからないのですが、少なくとも60%のデータ増加と情報増加には私の情報は含まれていませんから、現実には60%以上と考えられるでしょう。
さて、そういう情報の増加は結局、生活の質の向上につながっているのかということが本当は気になります。
データ量が少ない方が質が上がるという実証研究成果もまだ見たことがないので、データの量、情報の量と生活の質の関係については今後のビッグデータでのいろんな研究リポートを横目でみていこうとおもいます。大事なのはいまこのときの充実度合いなのであくまで横目での確認です。

疋田桂一郎のフレームワーク

Reading Time: 1 minute大学新聞社のサークルに所属していた時分、何度も写経したのが疋田桂一郎氏と深代惇郎氏の文章です。
特に疋田氏の『新・人国記』の「青森県」は名文でまだ読んだことのない方にはぜひ一読してほしい文章です。
せっかくなのでここで頭出しを紹介しておきます。

雪の道を角巻きの影がふたつ。
「どサ」「ゆサ」
出会いがしらに暗号のような短い会話だ。それで用は足り、女たちは急ぐ。
みちのくの方言は、ひとつは冬の厳しさに由来するという。心も表情もくちびるまで こわばって「あららどちらまで」が「どサ」「ちょっとお湯へ」が「ゆサ」。ぺらぺら、 くちばしだけを操る漫才みたいなのは、何よりも苦手だ。

こぎみよい文章のリズムと情景が広がる表現、適度な漢字とひらがなのバランスと体言止め。いまでも彼の天声人語時代の文章は好きで何度も読んでは自分のフレームワークになるようにしています。

7つのトリガー

Reading Time: 1 minuteダイレクトレスポンスマーケティング分野の第一人者、ダン=ケネディ(先日65歳の若さで亡くなられました)氏の著作や動画を見ていると非常に勉強になります。
購入の際のトリガー、つまり購入のきっかけとして彼が上げている7つのポイント(主要なドライバー<駆動装置>は50ほどあるみたいですが。)をちょっと備忘録として書き留めておきます。
1.恥ずかしい状態をつく 〜見劣りする車、負け組、贅肉のついた体など〜
2.感情的な痛みは現実的な痛みより強力である 〜懐に余裕がない、恋人に振られた、家主にでていけといわれたなど〜
3.相手の憤り、怒り、反感の状態に入り込む 〜
4.神秘性でつつむ 〜
5.リベンジ、汚名挽回 〜
6.恐怖・不安をあおる 〜
7.欲・なまけごころにつけこむ 〜
順不同

等覚一転名字妙覚と星の王子様

Reading Time: 1 minute法華経のことばに「等覚一転名字妙覚」というのがあります。
等覚(仏になる覚り)の先に究極の覚り(妙覚)があるのではなく、究極の覚り(妙覚)は足下にあるという意味です。

デザインをしているとついつい西洋風なものになってしまいがちです。
大阪でデザインをしているから大阪風にするという意味ではありませんが、自身が吸収し、みている世界は大阪です。
足元、周辺を再度よく見つめ直し、その中で答えを感じ作り出せばおのずと足元に根をはった、実感のこもったものになるのではないか。そういうことをおもいおこさせてくれるいい言葉です。

いい言葉なので目に見えるところに貼っておこうとおもいます。
そういえば愛読書の「星の王子様」やパウロ・コエーリョの「アルケミスト – 夢を旅した少年」が同じことをいっていました。
古今東西で語られるとなるとこれは究極の真理なのかもしれません。

人間の目は5億7,600万画素

Reading Time: 1 minute
ロジャー=N=クラーク氏によると人間の目は5億7,600万画素だそうです(人間が見分けられなくなる最小の幅を0.59分(60分=1度)として計算)。
最高峰のデジタルカメラで7,500万画素ですから、解像度の高さはデジタルのはるか上をいっているということです。

ただ画素数が増えるだけだと受光面積は小さくなりますから(受光素子に外枠があるので、分割すればするほど受光部分は小さくなります)必ずしも画素数が大きい=解像度が高いというわけではありません。

ちなみに地平が完全に水平の場合、目は最大でおよそ50km先まで見えるそうです。
センサーとしての人間のポテンシャルは思った以上に高いのかもしれません。

中世ヨーロッパの方法論と資産としての時間

Reading Time: 2 minutes中世ヨーロッパの大学では一冊の本が与えられ、完全に暗記するまでは次の本を読ませてもらえなかったそうです。
変動が激しく動きの早い現代でそのやり方をしていては問題や課題は解決できませんので、過去はそうだったということの事例としてしか意味のないエピソードです。
1994年から2004年の間でさえ、情報量は400倍にもなっています。

この間、インターネットがはじまり、メールが一般化されました。
2004年といえばmixiが登場しています。2004年から2018年の現在までにSNS関係やアマゾンなどに見られるネットショッピングの一般化とスマホの常態化がおこっています。
つまり2004年以後は400倍どころではないと推測できます。根拠になる資料が見当たらないのでこれはあくまで推測です。
さてこのエピソードとしての中世の方法論、つまり一冊一冊完全に暗記して次に進むという方法論は当時でも意味があったのでしょうか。
暗記というのはただ覚えるだけでなく、覚えることによって文脈の理解を深める効果は確かにあります。
日本国憲法の前文を中学生時代に丸暗記するという社会の授業があっていまでも時々諳んじながら、何かの討論番組で憲法の話になると前文ではこう書いてあってこう解釈できるんだという話で、そういう解釈はできるのかなとすぐにその場で考えることはできます。そういう意味で丸暗記は即時性という便利さを備えています。
別の例だと大学入試用の数学の問題はZ会の1,000問ほどの問題例と解答を覚えていたことで、これはこういう応用かと出題に対して対応できた記憶はあります。仕事柄javascriptやPHPを触る際もまさしくその延長で、この方式とこの方式の掛け合わせで対応できるかなというのは丸暗記の良さではあります。これはデザインする際も同じで、丸暗記は否定どころか肯定すべきことにおもえます。
さて、では1冊を暗記してから次に進むという方法論は時間がかかりすぎるので今は無理だとして、当時はそれで通用していたとするならばそこに資産としての時間というのがさほど重視されていなかったのかと推測できます。
急ぎの仕事はない、時間を短縮することのメリットはさほどなかったということです。
1995年くらいまでのデータのやり取りはMOにデータを焼いて電車や自動車で運んでいました。それでいまよりデザイン料は高かったのです。はやくする必要も今ほどはなかったような気がします。
たった20年でもこれくらい変わっています。
過去の歴史で時間が資産であったという例がないということです。
時間を資産として捉え、どう資産にしていくか、これは過去からは学べないということです。

4つのイドラ

Reading Time: 1 minute必要な情報を精査する際に、毎回それごとに基準を設けるのは大変手間がかかります。
ですので先人がすでにつくりあげた基準をお借りし、より効率的に物事をすすめることが通常おこなわれています。
料理のレシピがそれにあたりますし、ビジネスの世界ではビジネスフレームワークやその業界でのマニュアルがその基準となります。
それらのもっと大枠には哲学者や社会学者が研究に研究をかさねて磨き上げた知恵のフレームワークがあります。
哲学は全てに共通する部分にあたりますので業種をこえて活用することができます。
たとえば先入観について、なぜ先入観がうまれるのかを哲学者が解き明かしています。
イギリスの哲学者フランシス=ベーコンのいう4つのイドラ(先入観)がそれです。

1)種族のイドラ —-感情や感覚によって知性がまどわされてしまう—>企画書や報告書にある形容詞を数字や別の具体的な用語、計測できる言葉におきかえます。
2)洞窟のイドラ —-物事を自分の都合のいいように解釈してしまう—>数値や用語の根拠、原典を調べます。
3)市場のイドラ —-公の場で耳にした言葉を鵜呑みにしてしまう—>テレビや大物芸能人やテレビ人、ジャーナリスト、評論家の言葉は一旦根拠を確認した方がいいかもしれません。上記に同じく、充足理由律の確認です。
4)劇場のイドラ —-権威あるものをそのまま受け入れてしまう—>一旦肩書きや名前を伏せます。経済用語や経済理論なども誰がいったかより、一般的なことかどうかの前提を確認します。
先入観は事実を曲げ、正確な情報を歪めてしまいます。
たとえば調査の中で現在デフレが、とした場合、いま本当にデフレなのか、「技術革新」「企業努力」による物価下落なのではないのかなどを再度確認する必要はあります。

色の効能

Reading Time: 1 minute物質に吹き付けられているアナログの ”色” は色材の抽出から得られ、色材は顔料や染料で、その産地情報や技術書は古くから多数のこっています。
産地を記した資料や技術書が多数残っている理由は人々が文化的に意識が高く芸術を愛したからというのではなく、色材の主な役割が医学的効能にある、つまりお腹が痛いのをなおす、など実用性があったからだといわれています。

色がただその耽美主義からの美しさ、癒し、モチベーションの源になって求められている部分は多少あるのかもしれませんが、それよりももっと現実的実践的な効能を人々は色材にもとめていたということです。

茜は黄疸に効き、石黄=雄黄は抜毛に聞くといわれています。ただ石黄は毒性があるため、いまは使用されていません。

科学が発展したためか、現代はあまり色に対して医学的な効能を求める感じはありませんが、それでも例えば青色発光ダイオードは鮮度を保つ効能があったり、自殺を防ぐのに青いライトを環境光として駅舎などにともすなどの効果は認めれられ、今後の活用を待たれています。
色は波長で、水分をたっぷり含んだ細胞は波長の海の中に漂っていると考えると色=波長を安易にかんがえるのではなく、色をどうコントロールするかでもっとよくなることはあるような気がします。

新しい真実をつくり上げる・・・正解だ

Reading Time: 2 minutes本当に追いつめられた時には掟破りの方法をつかうことで窮地を脱するということはよくあります。

『リーガル・ハイ』で行われた別件裁判。
被告にいったん解任された弁護人=古美門弁護士は再び任命されるためにどうしたでしょうか。

被告がどうしたら解任した古美門弁護士を再度選ばざるをえなくなるか。
被告が守っているであろう、被告にとって一番大事な真犯人(この場合は犯人とされる女性、安藤貴和の実の娘)らしき人物の存在を別件裁判で白日の下にさらします。
そのことでその暴いた古美門弁護士を再度弁護人として任命することでしか、真犯人を守ることはできない(別の犯人を仕立てる この場合は犯人のいない、無罪とする)という方法、つまりロックオン(着弾等の照準を固定完了という意味でマーケティングの世界では狙った市場を狙ったとおりに打ち抜く営業手法をいいます)をしかけるのです。

こういう飛び道具的な手法は一般的には水平思考で編み出されます。
相手のルール、この場合は被告・安藤貴和のルールに従ってルールの問題点を明白にし、相手にルールを一貫させること(一貫せざるをえない)で勝負に勝つという方法です。
一貫させないと自滅するであろうルールです。
安藤貴和は娘を守るために犯人であることを選んだのにそれが貫けないという事態が起こるという本末転倒な自体がおこったということです。

古くは『あしたのジョー』でも同じように水平思考の方法がつかわれていました。
ボクシング協会を追放された丹下段平のもとではリングにあがることができない無資格事務所所属の矢吹ジョーはなにをしたか。

当時バンタム級新人王になったばかりで、協会長のジム「アジア拳」に所属している期待の新人、ウルフ金串を記者の目の前でクロスカウンターをつかって相打ちにもっていきます。実力のある選手、この場合は矢吹ジョーを、ボクシング界から消し去るために協会長が丹下段平のジムを有資格事務所として認めないのだという話をつくらせるのです。

当然協会長はそうではないということを証明するために丹下ジムを認めざるを得ません。
新しい事実を作らざるをえない環境をつくる。
そういえば野々村竜太郎元市議会議員が城崎温泉のある人に会うために頻繁に通っているという嘘を逆手にとってその人から野々村竜太郎議員についてある重大な秘密を入手した、それは野々村竜太郎議員が〜などという嘘を取材源の秘匿という手法をつかって詰め寄れば一気に辻褄が合わなくなって時間をそうかけずに逮捕できたのではないかとおもいます。誰もが城崎温泉に彼がいっているなどとおもっていなかったはずですし、記者にはそういう特権があるのに使わない手はありません(2006年、東京高裁は民事訴訟法上定められた「職業の秘密」として保護される余地を認める決定を行っています)。

『新しい真実をつくり上げる。・・・・・・・正解だ』(リーガルハイより)。