Design – JUiCANDSEA

カラーイメージスケールの観察

「カラーイメージスケール」(日本カラーデザイン研究所)という配色の本がある。
ある言葉に対してどんな配色(3色)があっているかというイメージマップをまとめた本である。
解説には1万人にインタビューをして集計したと書いてある。

初版が1990年で改訂版が2001年とある。
ざっと見ると10年間で配色がずいぶん変わっている。
詳細は省くが、2001年以降、もう20年経つが改訂版はでていない。
何も変わっていないのか、企画として割にあわないので終了したのかわはわからないが
カラーマーケティングからいうと色のマッチングでものがうれたりうれなかったりするので
令和版のカラーイメージスケールはいったいどうなっているのか
とても興味がある。
20年ぶりの改訂版を望む。

ミコノス島の絵地図

本棚にミコノス島の絵地図がある。
まだドラクマが健在だった頃に旅行で立ち寄ったギリシアで購入した。
上空から見たミコノス島の街並みはロットリングのような線画と水彩っぽい着色で表現されている。
一時期流行ったウォーリーを探せ風のタッチのようでとても心が和む。
手描きのイラストはその筆致の中に作者の息遣や迷い、思いを感じられるような気がして楽しくなる。
村上春樹の「遠い太鼓」にのってあるソマス=バー(p.165)をミコノス島で確認したのが懐しく。

http://www.skymap.gr/apps/

多崎つくると日本の販売色

村上春樹の小説、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の多崎つくるには色がない。
高校時代の仲良し五人組の名前は赤松慶、青海悦夫、白根柚木、黒埜恵里なのでいずれも色がある。
この四人の色はいわゆる日本の色であり、販売色でもある。
日本の色とは最後に『い』がつく色のことで、
赤い、青い、白い、黒い、の4色。
販売色は商品を売る際に検討すべき、売れる色をさす。

日本の歴史の途中から茶色や黄色が日本の色にはいってきたそうだ。
村上春樹氏はその日本の色を意識してこの4色を選んだのか。
ちなみに黒が日本ではメインになり、黒=陰ということ。
陰翳礼讃がまさにそう。

ガラスペンとマッキントッシュ

雑貨屋にてガラスペン用にインクと、ついでに木製のアルファベットと数字のスタンプも購入しました。
インクはシルバーです。
ガラスペンは描いた文字や線の風合いがとてもナチュラルで
活版のような温かみのある気持ちよさがそこにはあります。
雑貨店でこういうアイテムを見て触っている時間がすごく贅沢で
楽しくてしかたがありません。

店内はほとんどが女性客です。
外から見たら業者が納品かなにかできているようにみえるかもしれません。
でも好きだからしょうがありません。
なにしろ最初に就職した会社が画材メーカーです。
画材メーカーといっても会社然とした商社でしたので、画材の売り子をお店でしていたのではありませんが
取扱商品は画材です。
恵比寿に本社があってとてもおしゃれだった記憶があります。
4回生の就職活動時には
いくつかのデザイン事務所にもお声をかけて頂いたのですが、
当時はどのデザイン事務所もまだアナログでした。
ところがこの画材メーカーには一人一台、
マッキントッシュがあったのですから、
比べるべくもありませんでした。
画材メーカーに即決です。

1990年。
ピチカート・ファイヴって知ってる?っていっていた時代です。
キャッチーな雰囲気のする時代です。
入社した画材屋というかメーカーは本社のカスタマーサポートらしき女性や男性がワイヤレスマイクで
歩きながらサポートをしていました。
当時はストレートにカッコイイ、とおもいました。
本社はテレビドラマの舞台にもつかわれていました。
主演は斉藤慶子、カスタマーサポートが最先端の仕事っていう感じでした。
大阪のマックから東京のマックのデスクトップを見て、データをさわれる、
そんなことがこの時にすでにできていたのですから、やっぱり最先端です。
入社前の三回生のとき、授業でコンピュータ実習をとっていましたが、
その時はTSSで時間毎に課金されて、
三角や丸を描くのに半日くらい格闘してたような気がします。
アセンブラがどうとかこうとか。
それがマックは1分もかからずに絵が描けるのです。
そういうシンプルな感動がまだ当時はありました。
あれからずいぶんコンピュータもかわりました。
かわり続けるからこそ魅力的でありつづけたマッキントッシュ。
ガラスペンのように変わらないからこそ魅力的でありつづける画材。
変わり続けるから続く魅力と変わらないで続く魅力。
どちらも大事にしたいものです。

HOME
WORKS
THINK of
ABOUT
CONTACT