かなり昔、20年以上前、まだ高校生くらいのときに保守派の論客、
会田雄次氏のエッセイを読んで記憶に残ったものがある。
たしか「ものくるる友」みたいなタイトルだったかとおもう。
どういう話かというとなんでもない、
ものをくれる友はありがたい友だという、そんな話。
なぜ記憶に残ったのかとよくわからないが、言葉ではなくモノというダイレクトさ、
げんきんさ、そこにひかれたのかもしれない。
最近の啓蒙書に「まず与えよ、そうすれば与えられる」ということがよく書いてある。
まるで真理のように。
成功した人が書いているのでたぶん成功という観点からは真理だとおもう。
言葉、この場合はいい言葉はもちろん与える方がいいに決まっているが、
言葉は言葉なのでお腹がすいていたり仕事が欲しい人には
言葉の力には限界がある。
当然、ないよりある方がいいが、機能的限界がある。
機会をあたえる、というのも確かにモノを与えるくらいにありがたいことだ。
与えられる人が元気であれば。
返報性というのは人にも動物にもあるので、
与えられた貸しを受けたままというのは気持ちが悪くて必ず返そうとする。
言葉は言葉で返す。
人はいつ何時ピンチにおちいるかわからない。
そのピンチのときに言葉をかけられることでピンチを脱せれればまだまだ元気はある。全然大丈夫なレベルだ。
でも元気がないときもある。
そんなに自分は強くない。自分が強いかどうか、そういう賭けは私はしたくない。
少しでも自分に余裕があるときはまずモノをあげるようにする。
一種の信託である。
自分へのご褒美も大事だが、
自分がピンチの時に自分が自分がを助けてくれる自信はない。
自分へのご褒美をあげる余裕があるのなら優先して他人にご褒美をあげよう。
普段から周りへの心付けをしておこう。
これが情けは人のためならず、だ。
朝ドラのごちそうさん精神である。
ピンチのときに元気でいられる自信がない人は言葉ではなく、モノ。
人はいつでもピンチになれるから。
月: 2014年2月
ハピネスの変遷
人は幸福になりたいからモノを買うといわれている。
商品をつくったり売ったりする側は
その幸福(ハピネス)がいまどうなっているのかが一番知りたいところである。
かつて幸福は消費を通して得ていた。
車、クーラー、テレビ、そういう家電などが家庭に入ることで
モノを通して家族間のコミュニケーションを取り、幸せを感じたものだ。
それがやがて
「消費は幸福を支えるにたりない時代」となり、
いまは「幸福だから消費する時代へ」(『幸福の方程式』山田 昌弘 ディスカヴァー携書)
とかわってきた。
もう少し詳しく説明すると
- 戦後は基本的欲求 とにかく食べれればいいという時代。
- 1950年代は雷同 付和雷同。自分もテレビが欲しい、という価値観。
- 1960年代は優越 隣のクルマが小さく見えます(サニー)というコピーの通り、高度経済成長の時代らしい見栄。
- 1970年代は差別化 モーレツからビューティフルへ(ゼロックス)というコピーの通り、他人と違う物ものを手に入れたいという価値観。
- 1980年代は主観化 くうねるあそぶ(セフィーロ)にみられるように自分らしい暮らし、価値観がメインに。
- 1990年代は適正 いわゆる身の丈にあった暮らし。
が価値観の基本だそうだ(『シンプルマーケティング』森行生 SHOEISHA)。
そしていまは幸福だから消費する時代、
つまり幸福感を与えてからでないと
消費に人は向かわないということである。
まず幸福にする。
幸福を持続させるには消費(ご購入)をしていただく、という仕組みをどうつくるかということだ。
つながる、というのがキーワードになる。
LINEのスタンプなどは直接自分のために買うのではない、
特定の人とつながりたいから、相手の反応をひきだしたいから買う類の消費だ。
まず与えるということ、がこれからの消費であり、ハピネスのとっかかりである。
参考文献 『幸福の方程式』山田 昌弘 ディスカヴァー携書
『シンプルマーケティング』森行生 SHOEISHA