2017年の衆議院総選挙が終わった。
開票日のこの同じ日に台風が大阪を襲い、大和川は一部決壊した。
堺市の浅香駅は改札の定期投入口まで水位が上昇し、私の実家は大和川の近くなので避難勧告がでた。
実家近くのスーパーで夕食の買い物中、スマホがけたたましく何度もなり、注意を呼びかけてきた。
近所の世話係の人が夜分、避難の準備をしておいてくださいと避難場所の説明もかねてお声がけをしにきてくれた。
ありがたいことである。
テレビでは大雑把な報道しかとうとうされなかった。
決壊の写真も文字もなかった。
市のサイトは途中で情報が止まってる。
大和川の水位の様子は大和川についているライブカメラとツィッターの実況報告で確認する。
ついぞマスコミもジャーナリストも少しも動かず、ただただネットの善意に助けられた日曜日だった。
肌で感じた報道の姿がこれ。
速報はネットで十分。
深堀は文献で十分。
テレビ、新聞は情報収集と日常生活にはあまりもう必要のない存在になりさがったようだ。
これは以前から感じていたことなのだがさらに実感した。
SNSが機能してネットがつながっている環境ができている今、情報を専門にあつめるひとは
もっと専門性をもっていただかないと役に立たない。
速報性はもうSNSで十分である。
むしろ記者の余計な見解、思いこみ主導のイデオロギーまみれの記事は邪魔なだけである。
事実と見解をまぜこぜにしている記事がいかに多いかを新聞をみるといつも感じる。
ITに関しても間違いだらけの記事ばかりで情報になっていない。
むしろノイズだ。
テレビも同じく、いっちょかみの余計な見解が多くみられる。
テレビはやはり娯楽に徹していただいて本来の姿に戻るのが一番ではないか。
ジャーナリストはSNSに勝てない分野はやめていただき素人ではできない探求に徹するか、
それができないジャーナリストはもういいんじゃないか。
そういう時代がきてしまったんだ。