duckman – ページ 26 – JUiCANDSEA

小田和正氏の余所見

槇原敬之氏がまだアマチュア時代に坂本龍一氏のラジオ番組に投稿した曲はYMOの影響をかなり受けているというのは聴いてすぐにわかった。

先日テレビでオフコースというか小田和正氏の影響を槇原敬之氏が受けているというのを聞いて意外におもい、
いったいどのあたりなんだろうとおもっていると歌詞の余所見加減だそうで、ちょっとおもしろかった。

小田和正氏の書く歌詞は時々横をみている、と。

たとえばさよならの歌詞で

さよなら さよなら さよなら
もうすぐ外は白い冬
愛したのはたしかに君だけ
そのままの君だけ

うえのもうすぐ外は白い冬

の部分はたしかに風景をさっといれている。

こういう表現をいれることで歌詞全体が立体的になり、情景と情緒が交差する。

プロはこういうところをちゃんとできるということだ。

叩き上げのハイ・コロラトゥーラ

ソプラノよりさらに高い声をハイ・コロラトゥーラ(イタリア語: coloratura)といいます。
コロラトゥーラとは技法で細かい音をコロコロと動かす技術という感じです。
音を細かく動かすのは非常に難しい技術だということは映像をみてもわかります。
田中彩子さんのような、このレベルで歌える人は世界に数人しかいないそうです。
どうしてだせるのでしょうか。喉はどうなってるんでしょうか。
これこそが天賦の才というものなんでしょう。
努力もされているとはおもいますが、そもそも規格が違うのでしょう。

音楽大学もでられていないようなのでまさに叩き上げの方(ダサい言い方ですが)のようで
分野は違えど親近感が湧いてきます。

センサーの精度と現場

ある科学館にキネクトセンサーを2台正面に設置して遊ぶコンテンツを納品した。

キネクトのセンサーは正面の壁の角に斜め45度で配置している。
設置部分は飛び出してぶら下がっている感じで、正確に45度になっているのかを確かめるのはかなり難しい。
44.8度かもしれないし、45.1度かもしれない。

そのあたりをどこまで厳密にするかで3m先のセンサーが認識できる距離がかわる。
距離が変わると、立ち位置や場合によってはゲームの進行をかえなければいけない。
場合によっては2人で協力するゲームから1人の成績で競うゲームにする変えないといけない。

大抵は現場はそこまで厳密には施工できなかったりするので、結局は折衷案かできないを前提に進めるしかなくなる。
どちらにしろそこまで緻密にしても、振動などで0.1度や0.2度はずれてくるのはありえるので、できないという前提が大抵は結果的に正しい。

ものをくれる友はありがたい友だ

かなり昔、20年以上前、まだ高校生くらいのときに保守派の論客、
会田雄次氏のエッセイを読んで記憶に残ったものがある。
たしか「ものくるる友」みたいなタイトルだったかとおもう。
どういう話かというとなんでもない、
ものをくれる友はありがたい友だという、そんな話。
なぜ記憶に残ったのかとよくわからないが、言葉ではなくモノというダイレクトさ、
げんきんさ、そこにひかれたのかもしれない。
最近の啓蒙書に「まず与えよ、そうすれば与えられる」ということがよく書いてある。
まるで真理のように。
成功した人が書いているのでたぶん成功という観点からは真理だとおもう。
言葉、この場合はいい言葉はもちろん与える方がいいに決まっているが、
言葉は言葉なのでお腹がすいていたり仕事が欲しい人には
言葉の力には限界がある。
当然、ないよりある方がいいが、機能的限界がある。
機会をあたえる、というのも確かにモノを与えるくらいにありがたいことだ。
与えられる人が元気であれば。
返報性というのは人にも動物にもあるので、
与えられた貸しを受けたままというのは気持ちが悪くて必ず返そうとする。
言葉は言葉で返す。
人はいつ何時ピンチにおちいるかわからない。
そのピンチのときに言葉をかけられることでピンチを脱せれればまだまだ元気はある。全然大丈夫なレベルだ。
でも元気がないときもある。
そんなに自分は強くない。自分が強いかどうか、そういう賭けは私はしたくない。
少しでも自分に余裕があるときはまずモノをあげるようにする。
一種の信託である。
自分へのご褒美も大事だが、
自分がピンチの時に自分が自分がを助けてくれる自信はない。
自分へのご褒美をあげる余裕があるのなら優先して他人にご褒美をあげよう。
普段から周りへの心付けをしておこう。
これが情けは人のためならず、だ。
朝ドラのごちそうさん精神である。
ピンチのときに元気でいられる自信がない人は言葉ではなく、モノ。
人はいつでもピンチになれるから。

ハピネスの変遷

人は幸福になりたいからモノを買うといわれている。
商品をつくったり売ったりする側は
その幸福(ハピネス)がいまどうなっているのかが一番知りたいところである。
かつて幸福は消費を通して得ていた。
車、クーラー、テレビ、そういう家電などが家庭に入ることで
モノを通して家族間のコミュニケーションを取り、幸せを感じたものだ。
それがやがて
「消費は幸福を支えるにたりない時代」となり、
いまは「幸福だから消費する時代へ」(『幸福の方程式』山田 昌弘 ディスカヴァー携書
とかわってきた。
もう少し詳しく説明すると

  • 戦後は基本的欲求  とにかく食べれればいいという時代。
  • 1950年代は雷同   付和雷同。自分もテレビが欲しい、という価値観。
  • 1960年代は優越   隣のクルマが小さく見えます(サニー)というコピーの通り、高度経済成長の時代らしい見栄。
  • 1970年代は差別化  モーレツからビューティフルへ(ゼロックス)というコピーの通り、他人と違う物ものを手に入れたいという価値観。
  • 1980年代は主観化  くうねるあそぶ(セフィーロ)にみられるように自分らしい暮らし、価値観がメインに。
  • 1990年代は適正   いわゆる身の丈にあった暮らし。

が価値観の基本だそうだ(『シンプルマーケティング』森行生  SHOEISHA)。
そしていまは幸福だから消費する時代、
つまり幸福感を与えてからでないと
消費に人は向かわないということである。
まず幸福にする。
幸福を持続させるには消費(ご購入)をしていただく、という仕組みをどうつくるかということだ。
つながる、というのがキーワードになる。
LINEのスタンプなどは直接自分のために買うのではない、
特定の人とつながりたいから、相手の反応をひきだしたいから買う類の消費だ。
まず与えるということ、がこれからの消費であり、ハピネスのとっかかりである。
参考文献 『幸福の方程式』山田 昌弘 ディスカヴァー携書
『シンプルマーケティング』森行生  SHOEISHA

携帯電話は90グラム

いまやスマホに取って代わられた感のある携帯電話、いわゆるガラケー(ガラパゴス携帯)。
そのガラケーも最初から売れていた訳ではない。
なぜだかわからないが90gをきったあたりから急に売れだしたのである。
この90gにはいったいなんの意味があったのか。
ガラケーより確実に重いスマホ全盛期の今の時代にそれを問うことはもはやナンセンスだ。
身体とガジェットの関係がもっと明確にわかればいろいろとものをつくるときに役に立ちそう。
論理で考えるのではなく、体に聞くのが正解。

参考文献『ビジネス難問の解き方』唐津一(著)PHP新書

アクションと一見無駄で突飛もない行動

全財産を失ったカーネル=サンダース。
彼に唯一のこったのはフライドチキンの調理法だけだった。
さて、彼はどうしたか。
調理法をレンタルしようと考えた。
売れたチキン一羽につき5セントが得られるという新しいビジネスモデルである。
これがフランチャイズの始まりである。
フランチャイズなどどこにもない考えだった。
当然、最初はうまくいかなかった。
どの店もあえて彼の調理法をレンタルしようとはおもわなかった。
途方に暮れながらもサンダース夫婦はいろんな店にフライドチキンのフランチャイズを売り込みをつづける。
その年、最初のフランチャイジーとなった第一号店の店員が
たまたま来た訪問セールスにマンに必要もない紙コップを買かわされたて
そのコップの使い道に困っていた。
しかたなくその大量にある紙コップにフラシドチキンをいれて
店頭売りをしたのだがそれが好評で、噂が噂を呼び、
テーブルもない店舗でも彼のおいしいチキンが持ってかえってたべられる(テイクアウト)
というのが世間に受け、一気にフランチャイズが広まった。
テイクアウトの元祖でもある。
圧力鍋を使った秘伝の調理法、
知恵をうることしかなかったために考えたフランチャイズ、
処分に困った紙コップ、
やってみたテイクアウトセールス。
アクションとセレンディピティがこれらをつなげた。
一見不必要に思えるものを受け入れる、
アクションをつねにおこなう、
それからいろんなことは始まる。
ポイントはアクションと一見無駄な行動かもしれない。

松ぼっくりと文字

松ぼっくりのかさの大きさの違いに気づくことでアルファベットの点字はうまれた。
紙の上に立体の点でアルファベットをつくれば目の不自由な人でも何が書かれているのかを
感覚で読むことができるのではないか。
9歳で盲目になったルイ=ブライユはそう考えた。
松ぼっくりのかさの違いと文字をつなぐ発想は
文字を読みたいという個人的な強い欲求があってこそ生まれたのではないか。
ルイの目が見えていれば生まれてこなかった発明だったかもしれない。
9歳のときに不慮の事故で突然盲目になった少年の激しい絶望が
発想の背景にあったセレンディピティだとすれば、
セレンディピティを再現するには

◎ かつてはそのものの存在をしっていた
◎ 激しい絶望
◎ 絶望を越える強い欲求
◎ 前向きにいきる力
◎ きめ細かい観察
◎ 発想の飛躍
◎ 行動する

の条件やアクションプランがないと再現できない。
そういう状況にある人はたくさんいる。
そういう人にヒントをあたえてセレンディピティをつくる、
というのが本当にまさにこれから必要になってくる事なのかもしれない。
気づきを社会は仕組み化できるか。
従来の教育ではまったくそれが機能していないということは明白で
プログラムの授業を導入したのもその一貫かもしれないが
全く足りていない。

368万のチーム

日本には企業が、大企業、中小企業、個人事業主を合わせて386万社あるといわれている。
1億3千万の人が368万のチームに別れているということだ。
「法人」に該当するものが178万で、中小企業は約336.5万社 (全体の99.7%)、大企業は約1.3万社 (全体の0.3%)だそうだ。

企業のほとんどが中小・零細企業になる。
日本はよく中小企業が多い国で、効率がよくないようにいわれるが、統計でみると事実ではない。
2017年の人口100万人当たりの中小企業数を表したグラフを見るとOECD33か国中31番目の水準で、むしろ中小零細企業はすくなく、決して非効率な国にははいっていない。

ちなみに一番中小企業が多いのはチェコで2位がスロバキア、3位がポルトガルである。
最新のデータは確認できていないが、これが大きく変わるとはおもえない。

ファクトで考えないと間違った先入観で構想をたててしまうので注意が必要だ。
景気がうまくいっていないのは非効率ではなく、別の所にあると考えた方がいいようにおもう。

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