Critical thinking – JUiCANDSEA

ラジオ講座と蛍雪時代

たまたまYOUTUBEで見つけた懐かしい曲。
もうこの放送は終わっているし、当時の英文解釈の伊藤和夫先生や国語の林省之介先生などはまだご健在かと思って検索したら、伊藤先生はかなり前にご逝去され、林先生はまだご健在のようでなによりだ。

ついでに検索したら、蛍雪時代がまだ続いているのには少し感動した。
1932年からだからもう100年近く発行しているということだ。
ある種の意地を感じる。
素晴らしい。

有名無名

この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。
危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ、行けばわかるさ

アントニオ猪木さんが1998年の引退試合で詠んだ歌として知られている。
ただこの歌は浄土真宗の僧侶で宗教家・哲学者、清沢哲夫氏が、1951年に発表した詩「道」が原典とされている。

清沢哲夫氏の歌はこうだ。

此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ
危ぶめば 道はなし
ふみ出せば その一足が 道となる その一足が 道である
わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ

清沢哲夫氏は一般的にはあまり知られていないが、
日本の近代仏教思想史の中では非常に重要な方だ。
組織や教条に縛られがちだった仏教、自分とか、ないという仏教に見る東洋哲学、私は大河の一滴だという考えを、否として「個人の生きる指針」へと引き戻す仏教哲学を打ち立てた人である。

実際、文芸評論家の三宅香帆さんもYOUTUBE動画で図書館のよい学校としての大阪国際中学校高等学校を紹介する際に、学校に書かれている上記の銘文の作者、清沢哲夫氏を誰ですかといっていたくらい清沢氏は知られていない。

引用されていた文章は「ふみ出せば その一足が 道となる その一足が 道である」であったので、ここが「此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ ふみ出せば その一足が 道となる その一足が 道である」
まで引用していれば、ああ、アントニオ猪木さんの!となるはずである。

歌の中身がいいか悪いかを私たちはあまり重視していないのかもしれない。
よく聞く言葉か、有名なのか無名なのか。

今日ヒカキンの「オニチャ」を飲んでみたが、健康ミネラルむぎ茶と交互に飲んでみてもさっぱり違いがわからなかった。
むしろ飲用海洋深層水とビタミンCがはいっていて炭水化物0の「健康ミネラルむぎ茶」の方が体によいかもしれない。
(「オニチャ」には微量だが、炭水化物ははいっている。食品表示基準で100mlあたり5kcal未満であればゼロと表記できるから不当表示ではない。)

オニチャが家のお茶みたいという巷の感想は飲用海洋深層水とビタミンCがはいっていないからだろう。
わざわざ今後「オニチャ」は買わないが、ほかに麦茶がなければ買うかもしれない。
ただ、そもそも爽健美茶や胡麻麦茶、コーン茶の方が好きなので優先順位はだいぶ低い。

いずれも本質をみず、有名無名で判断しているだけではないのかという話で、だからよくないというわけではないが、偉そうに「判断」というほどのことを日々しているわけでもないだろうということだ。

パティシエに軍配を

TBS日曜ドラマ『リブート』が熱い。
合六にバチが当たりますようにと日本中のほとんどの視聴者が強く願っている。
結末次第で、景気付けのいっぱいを飲むか、やめとくかというビールの販売にまで影響を与えているかもしれない。
次の日の月曜日を陰鬱に迎えるのか、気持ちよく迎えるのか。
日本人の大半は善良な市民で、その市民の意に反するような、悪こそが正義となる結末なのか、どちらとも取れる結末か。
昨今、随分と加害者を大事にしている、加害者優先行政が方々に目立つので、ここは善良なるパティシエに軍配を与えてほしい。
それが日本国民の総意なのではとおもう。

ーーー後日ーーー

合六にバチがちゃんとあたってよかった。
ブラックが勝つ時代はもう来ない。
人は歴史に学ぶ。
倫理資本主義はもう始まっている。

社会の質を考える

今時、重力の存在を否定するひとはあまりいないとおもうが、ならばなぜその重力のせいで無駄にエントロピーが増える物の作り方をするのかが、全く理解できない。
たとえば本はやたらとツルツルのコーティングをしたがるが、あれをすると本を積み上げると滑りやすく、すぐに雪崩がおきたりする。
結果、再度、整理するという無駄なエネルギーをうみだしているが、そもそもツルツルコーティングなどせずにマットにしておけば摩擦が発生し、雪崩が起きにくくなるはずだ。
たとえばいろんなプロダクトもトップの形状をやや斜めにしているデザインが多いが、あれだとその上に物をのせると滑り出すので、やや斜めなどにせず、平らにしておけば滑るリスクが減るはずだ。トイレのロールペーパーの上部がまさにそうだ。
スマホをおくと、程なく滑り落ちる。
上に物をのせなくてもいいという話はまた別の検討になるのでここでは議論する必要はない。

本に関してもいろんなサイズをやたら出版しているが、そこまでサイズ違いが必要なのか。
フォークは4本しかないのは試行錯誤して4本に落ち着いた結果なのだから、本のサイズももう少し減らせば整理ももっと簡単になるのに、新書でさえ、出版社によってサイズがまちまちだったりする。どうしたいのか。

そこまで自己主張をする承認欲求、飽くなき無意味な自分勝手な欲望の具現化たる本の自由勝手なサイズをみるたびにその欲望のよだれにあきれてしまう。
欲望はたしかに発展の要ではあるが、いいかげん自重もすること、上品にいきることもこれからは大事なのではないか。
拡大、進歩だけを叫ぶのはあまりに質の低い、だらしのない生きかただ。

庶民は思っている以上に賢いぞ

生半可な知識で前提が抜け落ちていて、むしろコンテンツの意味が逆になっている発言を延々と繰り返している自称有名人はなぜ、まだその虚妄を繰り返しているのかをずっと観察している。
目的がどこかにあるはずだ。

論破されたところでそのまま、しれっと別の話に移ったりしている手法はいつも通りだが、そもそも印象操作をなぜそこまでしたいのか、その目的がしりたい。
非常に不可解で、普通に考えると金品を受け取っているのかと考えざるを得ないが、そうでないなら、その今の地位を保証されるということへのトレードオフとなるが、その地位が生み出すのは富、お金だからやはり金か、ということになる。

テレビのアナウンサーやコメント芸人の年収が500万円くらいしかなければ、発言も変わってくるはずだ。

しかしながらそんな賃金で芸能活動をする人はいないだろうし、いたとすればよほど芸能がすきなんだろう。
地位と環境保全のために必死なっていると考えるのがということであれば話はわかる。
あとは頭脳戦である。
どちらが勝つか、どちらが戦略的に優れているかの勝負になってくる。

庶民は思っている以上に色々見ているし、思っている以上に賢いぞ。

ichi-clip考察

なかなか手に入らないichi-clipはありそうでなかった逸品。
おしゃれでかつ機能性がたかいというのはデザインとしては最高の褒め言葉。
実際使っていないので耐久性など、素材としてどうかわからないが、素材もよければいうことなし。

ポールスミスの物はエモーショナルで好きだけれど(機能性はそんなによいわけではないが)、ハンドクリームのキャップが折れる、服はすぐすすける、バッグのファスナーはちぎれるなど、すぐ壊れるのはどうかと、いつもおもう。
材料が安いのか、製造工程に問題があるのか、調べたことがないのでわからないが、改善する伸び代はある。

https://shop.foodmark.co.jp/items/70050663

日本の原点は1979年ではあるがベストであるわけではない

日本の原点は1979年といわれている。

南 信長 著の『1979年の奇跡』ではその辺りをアニメやパソコン、ワープロ、映画やドラマ、報道、経済事象から考察している。
読んでいてとても懐かしく、このころ、つまりバブルの前あたりにもう一回もどるのもありかなとおもったりもする。

バブルでとち狂う前の日本の原風景がそこに収まっている。
日本人は基本幼稚なところ、無邪気なところがあるので、放置して調子にのって、いきなり規制たことで失敗したこの30年の反省を踏まえて、監視しながら随時規制、随時解放した方がよいのかもしれない。
再度バブル前にもどして監視しながら、再度やりなおすのがよい。

ワープロの成熟期に画面デザインをしたり、MDの筐体デザインをしてきた身としては自分のしてきたことがすでに歴史の中におさまってしまっているのがなんともいえず、感慨深く感じる。

いまAI主導の新しい文化はこれはこれでおもしろいので参加して、楽しみたい。
1979年は原点ではあるが、ベストであるわけではない。

接吻のいま

JAZZアレンジはとても刺激だ。
リアルタイムに原曲を聴いていた世代にもまた新しく気持ちがよい。
現役世代がこういうふうに振り付けをつけて踊るとなぜか涙がでてくる。
なんの涙だろう。

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