duckman – ページ 4 – JUiCANDSEA

本は売り方

ネットで本の売り上げは毎年増加している。
しかしながら町の本屋が減っていっているということは売り方の問題ではないのか。

朝、出勤前に購入したい、おすすめされたい、知らない世界を知りたい、古本でやすく手に入れたい、購入時になにがいいのか相談にのってほしい、ざっと読んで購入を決めたい、そういう町の本屋に司書がいれば本は売れるのではないか。

立ち読みしている人に注意したり、追い払ったりという誰でもできることしかしなかった街の小さな本屋があったが、とっくの昔に潰れてなくなった。
タダで読まれたくないという非論理的な直情だけで行動した結果、街には必要のない存在になった。

ジュンク堂ははやくから店内に椅子を設置して、座り読みまですすめていた。
技術書や専門書は中身をちゃんと確認してから買いたいという要望があって、それにマッチしたため、結果的によく売れた。
技術書や専門書は高額である。
かつ確実に購入する層がいる。
かつ多数買いする。
立ち読みでは読みきれない。
どうしても手元に必要である。
ジュンク堂はリアル書店が「商品を売る場所」から「知識と体験を提供する場所」に書店を定義し直したため、成功した。

品揃えもあまりない、読みたい本もない、惰性にまかせて開いているだけの本屋が生き残るのに、ただただ店を開けておけば良いという金あまりの時代ではないし、もうそんなぼんやりした時代は来ないかもしれない。
専門書も技術書もおけない、安い、流行りの本や文庫本しか置けない本屋だとしても打つ手はいくらでもあるはずだ。

購入を誘発するyoutube動画やショート動画はネットにたくさんあふれている。
三宅香帆さんのようなアイドル的文芸評論家も現れている。
文芸評論家がオールナイトニッポンのDJをしたりする時代だ。
そこにヒントがいっぱいあふれている。

実際、ネットでは本は年々売れているという事実がある。
本を読みたい人が減っているとは思えない。
人口自体は減っているが、生涯学習の風習は以前より強くなっているので、LTVは強いはずだ。

旧態依然とした売り方に問題がある、研究不足である、工夫をしない、それだけのことだ。
本離れなどしていない。

オールドメディアは国民に監視される側

オールドメディアは国民に監視される側であるとそろそろ気づいた方がよい。

SNSが機能をしている時代に権力を監視する役割はオールドメディアにはすでにのこっていない。
ニュースの解説はSNSでもなんでもネットには載っている。
したはって、新聞はいらない。

最新のニュースはスマホが教えてくれる。
したがって、テレビをつける必要もない。

片山さつき財務大臣に反論も意見もいえないマスゴミの記者は専門性さえももはやないのだという自信喪失をもっとした方がよい。
喧々諤々でやりやってという政治家とマスコミのプロレスイメージをイソ子などオールドはもっていそうだが、そういう昭和な時代はもうとっくに終わっている。

オールドは老害という意味で呼んでいるということにさえ気づいていないというのは幸せな人生だ(古美門研介風)。
コンテンツだけで勝負したらどうなんだ。
SNSはもっとオールドメディアを馬鹿にした方がよい。
youtubeをみたあと、食事時にリビングで久しぶりにテレビをつけたら、バラエティ番組で出演者がおもしろ動画をyoutubeからひらってきてコメントしている。
さっきみたYoutubeで見た動画だ。
なんだこのコント状態は。

指差しマナー

相手に指をさして発言する人がいる。

非常に失礼で、人に指差しを奨励している国は探してみたが見つからない。
どの国の文化でも非常識で不敬とされている共通のマナー違反だ。

玉川くんは思想やイズムを振りかざす前に、人としてちゃんとすべきである。
指差すことでマウントをとっているのか、頭の中にある種のヒーローが浮かんでいてそのつもりになっているのかもしれないが、そういうのも世間はちゃんとみている。
議論の中身で勝負すればよい。

オールドメディアの死活問題

自民党のサイトをみると会見についてはいずれも動画と書き起こしの文字を表記するようになっている。

こうなってくるとじゃーなりすとの方々は切り抜きや編集、たとえば発言者を明記しないことにより、言った側がどちらかわからないようにして、バレた時はそういう捉え方をする方に問題がある、双方誤解があったなどとといった、長年培われてきた論理のすり替え法や偏向報道編集技術が使えなくなるではないか。

これではじゃーなりすとや大越は次の世代に、せっかく育ててきた荒技を伝承ができなくなる。
ダッチロールの絶妙な角度とか、あいまいにする方法などの数々の伝統芸が歴史の中に埋もれてしまう。

これこそ民放や大新聞社やけんすけは自民党に、報道編集の自由について大々的に抗議すべきである。

オールドメディアとけんすけはいま死活問題に直面している。
自認賢者の代表なら、このピンチをはやくチャンスにかえろ。

老害で終わるか、けんすけと言われてバカにされるだけで、晩節を汚すか。
その人生は楽しかったのか。

Trevor Charles Horn

t.A.T.u.を久しぶりにyoutubeでみた。
彼女たちのスキャンダラスな演出がいいのか悪いのかにはあまり興味はない。

それよりもt.A.T.u.の楽曲がとても好きで、YES復活の仕掛け人、Trevor Charles Horn(トレヴァー・ホーン)がプロデューサーで作曲者だったというのはとても納得ができる。
楽曲のドラマチックさがほかのアーティストとは明らかに違う。
レズっぽい女の子の演出も世間に受けたのかもしれないが楽曲のレベルが明らかに違うのだ。

YESをあまり知らない人には『ジョジョの奇妙な冒険』のエンディング曲、『Roundabout』のあのミュージシャンといえばピンとくるかもしれない。
『Roundabout』のときはTrevor Charles Hornはいないので、アンダーグランドなプログレ感の強い感じのバンドだったが、Trevor Charles HornがYESを手掛けて以降はよりポップにかつ、ドラマティックなっている。

YESはとてもややこしいバンドなのでここでは触れないが、今も現役のバンドというのは感動的である。

ちなみにTrevor Charles Hornはラジオ・スターの悲劇で知られるミュージシャン、バグルスのメンバーで作曲者である。
いずれにしてももうすぐ80歳。素晴らしい。

ネットの変遷と最適解

インターネットともに歩んできたから、というeoのCMをみて、ネットの変遷について感慨に浸った。

モザイクというのがあるらしいから始まって、ネットスケープゴールドがいいらしい、アメリカオンラインがいけている、矢沢永吉のサイトがアニメでうごいているぞ! 常時接続が始まるぞ! ダイヤルアップではなくなる! スプラッシュはアニメがつくれておもしろい、プログラムもつかえるようになった、javascriptは重くてつかえないな、などなど。

あっという間の30年だったのだとつくづくおもう。
30年間で様々な社会変化があった。
どれももうネットを無視できない。

いまAIやChaTGPTのようなのをいきなりあたえられた世代の感覚はどういう感じかわからないが、最初からあるのがいいのか、どんどん進化、変化をしていくのを見て、それに合わせて取捨選択してきた方がいいのか。
これはどちらというのではなく、どういう組み合わせで共存共栄していくのがベストなのかという話なので今後、いろいろな案がでてくるのが楽しみである。

高橋洋一にもっと怒られろ

財務省派の小林慶一郎と反財務省派の中野剛志の矢野論文をめぐっての対談。
文藝春秋2022年1月号 (創刊100周年記念特別号) p.130から。
これは必読。

3年目に答えがでるのか。
財務大臣次第か。

財源をめぐる上記のような議論をもっとオープンにかつ活発にすべきである。

テレビのコメンテーターは政局がどうので遊び過ぎだ。
巨人戦、政局の戯れはもう視聴率はとれないとあきらめるべきである。
久米引退あたりでもう終わっている。

ここを足すと過半数で、この人が動くとああだこうだ、などもう、うんざり。

テレビマンが騒ぐ話ではない。
視聴者もそんなに馬鹿ばかりではない。
経済の立て直しを具体的に議論する。
それだけでいい。

高橋洋一にもっと怒られろ。

大人の図鑑シール

大人の図鑑シールというマニアックなシールがある。
医療機器や細胞、世界の不思議など取り上げる分野が確かに大人だ。

どこに貼るのか、誰が購入しているのかピンとこないが、いいセンスだなとおもう。
病院のベッドにおばあちゃんがナースコールなどのシールがはっていたら吹き出すかもしれない。

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