duckman – ページ 24 – JUiCANDSEA

ぼくは散歩と雑学が好きだった

ぼくは散歩と雑学が好きだった 小西康陽のコラム1993-2008  朝日新聞出版
小西 康陽 著
音楽や映画、ポップカルチャーのエッセイ集。

現代の植草甚一。
装丁なども植草甚一を意識したらしいです。
ここで取り上げられているポップな音楽や映画を片っ端からチェックするという道楽をしています。
小西さんが東京の人なので取り上げれている地場のカルチャーモノは
どうしても大阪人の私にはピンと来ないのですが、それはそれとして勉強になります。
その点、音楽や映画は地域性とは関係しないので純粋に楽しんでいます。
収集している灰皿の写真とコメントがまたいい味だしています。
ちなみに小西康陽氏が無人島にもっていくなら「Miles Davis & Gil Evans- Miles Ahead」とのこと。

最近のエッセイはここでも読めます。

令和考

令和は最初の元号、大化から数えて248番目の元号である。

「万葉集」の巻五、梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文を典拠としている。
社団法人 日本流行色協会(JAFCA)は令和の発表に際し、
慶祝カラーとして梅、菫、桜の三色を選んだ。

梅のカラーは日本の伝統色にある梅紫紅梅色などの梅の色からは採用していないようだが、元号にゆかりのある菅原道真にちなんで、
飛梅色なのだろうか。

梅花謌卅二首并序
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、促膝飛觴、忘言一室之裏、開衿煙霞之外、淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以攄情。詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。
梅の花の歌三十二首、并せて、序
天平二年一月十三日、帥老の宅に萃ひて、宴会を申ぶ。時に初春の令月にして、気、淑く、風、和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。加以、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて盖を傾け、夕の岫に霧結び、鳥は穀に封ぢられて林に迷ふ。庭に新蝶舞ひ、空には故雁帰る。是に天を盖にし、地を坐にし、膝を促けて觴を飛ばし、言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然として自ら放し、快然として自ら足りぬ。若し翰苑にあらずは、何を以てか情を攄ベむ。詩に落梅の篇を紀す。古と今と、夫れ何ぞ異ならむ。宜しく園梅を賦して、聊か短詠を成すベし。

令月には何事をするにもよい月という意味がある。
いい節目になりますように。

スカーレットのナラティブ

NHK連続テレビ小説「スカーレット」は細かい演技が秀逸な作品だ。
三林京子さん演じる女中業のスペシャリスト、大久保のぶ子さんが隠し玉として、戸田恵梨香さん演じる、ヒロイン・喜美子さんにお金を手渡すシーンがあった。

喜美子さんの父、北村一輝さんが娘を訪ねにきたその日に、父娘が久しぶりの再開をはたしている、その場でだ。
喜美子さんは自分のしていた雑用が実は内職で、自分が内職をしていたとは理解していなかったので、驚きを隠せない。

急にたずねてきた父親の様子を察してなのか、たまたまのタイミングなのかわからない。
そういうどちらともわからない空気感をちゃんと伝えている丁寧な演出はナラティブ性が非常に高く、ある種の感動をよぶ。

あそこで大久保さんが察しているような表現をしないからこそ、見ている人は自分で目の前の物語に意味づけをし、自分で解釈していくことができる。

自分ごとになれる、ナラティブが高い演出は視聴者をグイグイとドラマの中に引き込み、結果、ファンを形成する。
コンテンツ制作を生業にしているものとしてはこういうナラティブで細かい表現、ストーリーがあると変に嬉しくなる。

アイデアのつくり方

ジェームス・W.ヤング 著 
TBSブリタニカ ¥880

ざっくりまとめると

1.資料集め
2.資料を咀嚼
3.問題を忘れる 考えない
4.どこからともなくアイデアがわく
5.現実にためす

ということ。

消費者のこころを理解するにあたって、
広告について書かれた本よりも社会科学の本を読むことを著者はすすめている。
ここでは当時流行っていた社会科学本、ヴェブレンの「有閑階級の理論」、
アメリカの社会学者デイヴィッド=リースマンの「孤独な群衆」をあげている。
いまだと行動経済学関係の著作になるのではないか。

データの量、情報の量と生活の質

世界のデータ量は年率で60%拡大している(IDC社推計)。
データと情報の関係をIDCはどう考えているのかわからないが、データがないことには情報にならないので、データ量が増えているということは情報もいくらか増えていると考えるのが妥当かとおもう。

その情報の中にはバッファローのルーター設定詳細の、ある変更でうまくいったこととか、プラズマディスプレイとWindows10での相性の問題とか、Wordpressでのプラグインでのちょっとしたチップスなんかも含まれているのか。

私はそれについて誰にも報告していないし、検索してもでてこないので、多分含まれていないはずである。
どういう算出方法かわからないが、少なくとも60%のデータ増加と情報増加には私の情報は含まれてないから、現実には60%以上と考えられる。

さて、そういう情報の増加は結局、生活の質の向上につながっているのかということが本当は気になる。
データ量が少ない方が質が上がるという実証研究成果もまだ見たことがないので、データの量、情報の量と生活の質の関係については今後のビッグデータでのいろんな研究リポートを横目でみていこうとおもう。

大事なのはいまこのときの充実具合いなので、あくまで横目での確認で十分である。

ぼくは散歩と雑学が好きだった。

『ぼくは散歩と雑学が好きだった。小西康陽のコラム 1993-2008』 小西康陽 著 朝日新聞出版 ¥2,484

ピチカートファイブのメンバーで、歩く電通と呼ばれた小西康陽さんのエッセイ。

音楽に通じるおしゃれさ。
レトロ、ポップ、おしゃれ。

当時は紹介されている音楽を片っ端から聞いていた。
このエッセイのシリーズは毎回でるのが楽しみである。

「駅」をめぐる明菜とまりやの解釈


中森明菜の解釈と竹内まりやの解釈が真逆だという名曲。
明菜は愛していたのは私だけだったという彼女寄りの解釈。
竹内まりや、山下達郎は逆の意味、愛していたのは彼の方だけだったとして
制作している。

聞き比べると歌い方、思いの込め方ひとつとっても
いろいろ感慨深い曲である。

竹内まりやの情念をあまりこめていない、距離をおいた冷めた歌い方は
そこからきているのかもしれない。

HOME
HOW TO
WORKS
THINK of
ABOUT
CONTACT