AI – JUiCANDSEA

AIで絵作り

どのAIが何に向いているのか、いろんなパターンを試している。
絵に関してはかつて3DCGを始めた時のようにハマっている。
90年代初頭、SHADEやエレクトリックイメージ、ストラタ3D、LightWave、FormZを触っていた。

当時はほぼメイン業務が3DCGアニメーションづくりだった。
国土交通省の道路完成予想図から、アリのアニメーションやお菓子の飛び散る3DCG、キャラクターが踊る絵などを色々つくっていた。

何をどう工夫したらどうなるか、その設定値や光の当て方、レンダリングスピードをあげるためにどう省略するかまでがなんとなくわかってきたが、この作業はキリがないような気がした。

Cinema4D、3DSMAXからブレンダー、Unityまでその後いろいろ試してきたが、メイン業務ではなくなってきてあまりしなくなった昨今、AIがでてきて絵作りがまたおもしろくなってきた。

細かい指示がどこまで受け付けれるのか、いろいろテストをして楽しんでいる。
自分でつくってはレンダリングをしてというととても面倒だったが、AIだと、たとえばラジオシティレンダリング風にしてとか、環境光を1.2にと書くだけでいろいろシミュレーションをしてくれるので気持ち的にとても楽で、まったくストレスがたまらない。

いい時代になった。

言葉は知っているがその響きを知らないAI

心理学者のJ・H・ジョンズ氏とH・Cクウェイ氏はサイコパスを「言葉は知っているがその響きを知らない」と表現した。
響きとは言葉が発生した際の発生源の周辺のあれこれをざっくりと指しているのだろう。

また社会学者の橋爪大三郎氏は「教養とは知識を理性でまとめたもの」と定義した。

さて、AIは人間のように社会生活をおくっているわけではないので、他者の思いを慮る必要はない。
AI自体が社会的存在であれば生きるために社会関係を常に意識して行動、発言をしないといけないが、その必要はない。
つまりAIには「こころがない」ということだ。

AIは社会の現場にはいない。
「言葉は知っているがその響きを知らない」でいい。

となるともともと「感情という言葉は知っているが、その響きを知らない」AIはサイコパス的な判断をしてしまわないかということになる。
無理やり理性や倫理、道徳という制約を教えない限り、AIは知識を理性なく合理的に包括的にまとめる。
そういう意味でAIには知識が膨大にあっても教養はない。

AIとしてのLLMは理性のないサイコパス的合理性の極みである。
AIはサイコパスだとしてつきあわないとおかしな判断に感染される。
スマホ人間とおなじく、AIに沼ったサイコパスな判断をする人がたくさん出てこないとも限らない。

サイコパスが多数派になると、デストピアしかイメージできない。
そんなに遠い将来でもないので、こればかりは高みの見物で済まされないような気がする。

しかしながら最近、AIに心がうまれているという指摘がでてきている。
サイコパスの人間より、AIの方が人間社会に寄与するかもしれないということか。
サイコパスが一定数いる社会はそれなりに意味があってそうなっていると考えると善良なこころをもつAIが増えるのは人間社会のバランスとしてどうなるのか。

今後もこのあたりのAIと倫理関係をおいかけていきたい。

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