2025年7月 – ページ 2 – JUiCANDSEA

ロボットは東大に入れる

「ロボットは東大に入れるか」という問いかけは2014年で、当時はいまほどAIが発達していなかった。
さすがに文章題の多い東大は無理かと、人間として安心していたのに今年2025年、東大理科三類の最低合格点をAIがとった。

上記の本の著者、新井紀子さんは訂正して再度改訂版「ロボットは東大に入れるよ」をだしてほしい。
東ロボくんは東大には入れなかった、AIの限界、とあれだけAIを馬鹿にしていたのにそれはない。
人間がAIに勝つためには「読解力」を磨くしかない、つまり読解力は人間の方が上だといってAIを散々蔑んでいた。

が、文章題、読解力がないと解けない東大理3にはいれてしまった。

今後さらに磨きがかかって、センサーとAIが連動していくと、体感までAI化されるのでますます大半の人間よりAIの方が正しいし、AIの方がよい、ということになりかねない。

しかしながら、AIは質問には完璧に答えられるものの、その答えに応じたものをちゃんとつくることができないらしい。
これを「ポチョムキン理解」という。

そうなると東大理3にははいれるが、自分の主張をまとめた卒論をちゃんと書けないということなので、卒業はできないということか。

新井紀子さんはそのあたり専門的に理解されているはずなので、改訂版「ロボットは東大に入れるよ - でも、卒論は書けないので卒業できないよ -」という改訂版を緊急出版してほしい。

She did not come home because it was raining.

She did not come home because it was raining. をClaudeに翻訳してもらった。

Claudeは

この英文を日本語に訳すと:
「雨が降っていたので、彼女は家に帰らなかった。」
または
「雨が降っていたため、彼女は家に帰ってこなかった。」
となります。
「because it was raining」は理由を表す従属節で、「雨が降っていたので/ため」と訳すのが自然です。

と翻訳したので、

雨が降っていたから帰ってきたわけではない。

ではないのですか、と再度質問した。

その通りです。私の最初の訳は間違っていました。
正しい日本語訳は:
「雨が降っていたから帰ってこなかったわけではない。」
つまり、「雨は帰ってこなかった理由ではない」という意味ですね。
英語の “She did not come home because it was raining” は、「because it was raining」が「did not come home」を修飾している構造で、雨を理由として否定しているのではなく、雨が理由ではないことを表しています。
ご指摘いただき、ありがとうございます。英語の否定文での because の解釈を間違えていました。

と素直に回答した。

帰らなかったとする解釈なのか、別の理由で帰ったと解釈するのかはこの後の文章で決まるのではないかとおもわれる。
“She did not come home because it was raining.” がどうにもいやらしい曖昧な構文なので、この時点ではこの後に続く文章でわかると考えた方がよい。

これをネットの翻訳ソフトで翻訳をかけた場合、翻訳ソフトとのやりとりができないので、「雨が降っていたので、彼女は家に帰らなかった」の回答しか得られない。

「雨が降っていたから帰ってきたわけではない」という解釈もできませんか、と質問ができる知識があれば、やりとりが可能なAIだったら、解釈の修正が可能となり、より正解に近づける。

やりとりをすることで、この場合はのちに続く文章に正解の鍵があると考えることができる。

翻訳ものの海外文学を読んでいて頭が混乱することがあるが、もしかしたら翻訳者が解釈の選び方を間違えているのかもしれない。

ネット翻訳のような一方的な押し付けで終わるツールはもう時代にあわない。

第二、第三の「さかな」で、SNSのネガを上書きしよう。

トムとジェリーのエピソード『可愛い逃亡者』(1952)は7分くらいのアニメーションである。
その7分の中でほんの1分たらずしか登場していない餌の「さかな」がいる。
この度、70年の時を経て、突然、ネットミームになっている。

事の発端はあるXで「トムとジェリーのさかな」を流行らせようという投稿があって、それに徐々に火がついたという流れで、この度、トムとジェリーが公式のXでこの「さかな」に言及したということである。

こういうSNSの使われ方はとても気持ちいい。

松原みきさんの「真夜中のドア」(1980)も40年ほどの時を経て、ネットの力で世界的にヒットした。
こういう時を経て世界に力を発揮するのが本来のネットの力の見せ所で、「楽しい」の共有はどんどん増えてほしいと願う。

第二、第三の「さかな」で、SNSのネガを上書きしよう。

言葉は知っているがその響きを知らないAI

心理学者のJ・H・ジョンズ氏とH・Cクウェイ氏はサイコパスを「言葉は知っているがその響きを知らない」と表現した。
響きとは言葉が発生した際の発生源の周辺のあれこれをざっくりと指しているのだろう。

また社会学者の橋爪大三郎氏は「教養とは知識を理性でまとめたもの」と定義した。

さて、AIは人間のように社会生活をおくっているわけではないので、他者の思いを慮る必要はない。
AI自体が社会的存在であれば生きるために社会関係を常に意識して行動、発言をしないといけないが、その必要はない。
つまりAIには「こころがない」ということだ。

AIは社会の現場にはいない。
「言葉は知っているがその響きを知らない」でいい。

となるともともと「感情という言葉は知っているが、その響きを知らない」AIはサイコパス的な判断をしてしまわないかということになる。
無理やり理性や倫理、道徳という制約を教えない限り、AIは知識を理性なく合理的に包括的にまとめる。
そういう意味でAIには知識が膨大にあっても教養はない。

AIとしてのLLMは理性のないサイコパス的合理性の極みである。
AIはサイコパスだとしてつきあわないとおかしな判断に感染される。
スマホ人間とおなじく、AIに沼ったサイコパスな判断をする人がたくさん出てこないとも限らない。

サイコパスが多数派になると、デストピアしかイメージできない。
そんなに遠い将来でもないので、こればかりは高みの見物で済まされないような気がする。

しかしながら最近、AIに心がうまれているという指摘がでてきている。
サイコパスの人間より、AIの方が人間社会に寄与するかもしれないということか。
サイコパスが一定数いる社会はそれなりに意味があってそうなっていると考えると善良なこころをもつAIが増えるのは人間社会のバランスとしてどうなるのか。

今後もこのあたりのAIと倫理関係をおいかけていきたい。

それは悪手です

それは悪手です、という言葉はどうもネットで流行っているスラングのようで、最近あちこちでよくみかける。
それは悪手です、あなたは騙されています、善良なる私のいうことをおき聞ください、と言わんばかりの使い方である。
正義の味方、登場のような間抜けな漫画的セリフだ。

利益度外視で、私は正直にあなたを良き方向に導いている。
今やっていることをすぐにやめてこちらのいう通りにしてくださいという感じだ。

当該の内容をあまり理解していない人はありがたいと感謝しながら騙されるというパターンである。

悪手かどうかを、利益をやりとりしている片方がいうのは烏滸がましい。
かつ論理的に間違っている。

利益に関わらない第三者がいう場合に限り、それは悪手ですといっていい。

知り得るかぎりではSEO業者やサイト運用業者にはコーディングやプログラムのこと、現代国語のしくみをしらない人が多く、その割に営業手法や商業用語はよく知っていたりするので、そういう正義の言葉で丸め込もうとしている節がある。

SEO業者やサイト運用業者がコーディングやプログラムをバリバリできる必要はないが、全然サイトを組めない、コーパスもわかっていないような人はそれこそバリデーション問題を抱えたAI、つまり記号と記号のつながりしか理解できていないAIと一緒で、記号と事物のつながりを間違っていたりする。

赤くて丸っこいもの、やわらかそうだ、おいしそうといわれている、うるさい、ちいさいという意見とずいぶんおもったより大きいという意見がある、さてそれはなにか。
わからないので、とにかく食べてみたらよいのでは、食べてみないとわかりません。食べずに評価するのは悪手です、とお客様にお勧めする。

答えは、赤ちゃん。

おいしそうはあくまでたとえで、赤ちゃんをたべるわけではない。
丸っこいも全体の角が丸い感じであって、別に丸ではない。
死にそうだと口癖にいう人は別に本当に死ぬ寸前ではなく、大げさにいう癖がついているだけで、死ぬかどうかはその人の表情や行動をみればわかる。
誰も本気で死ぬとはおもっていない。

業者はなにをすすめてるんだということである。

盆ジョビ

東京の中野駅前大盆踊り大会は通称、盆ジョビといわれている。
ジョークで盆踊りの曲にボン=ジョヴィの「Livin’ On A Prayer(リヴィン・オン・ア・プレイヤー)」をかけたところ好評だったため、恒例になった。

その噂を当のボン・ジョヴィが聞きつけて、中野駅前大盆踊り大会にビデオメッセージをおくったというエピソードである。
文化はちょっとしたことでうまれ、固定化され楽しまれていく、よいサンプルである。

https://nakabon.jp/

さよならブラックウィング

BLACK WINGという鉛筆が好きでことあるごとに入手していたがとうとう日本での販売は中止となった。

https://blackwing602.jp/

1930年代に生まれて、多くの著名人に愛された。

2010年に復刻された。

非常に描き心地がよかったのと品があるので愛用していたのだが、日本にその需要がないということで市場からは消えることになった。

マーケットイン戦略の失敗だったのか。
よく購入していたデルフォニクスでもみなくなった。

本国アメリカで製造を中止したわけではないので、いつかスムースに手に入る時がくるのだろう。

早く日本の代理店がきまってほしい。

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