すぐに炎上するオールドメディアのコメンテーターは自分の発言が記録され、文章化され、各方面で分析されて論破されているという現状を理解できないのだろうか。
まったくYOUTUBEもSNSも見ないということなのだろうか。
YOUTUBEやSNSの分析などまったく力がないと見くびっているのだろうか。
その自信はオールドメディア人の年収の高さ、マスコミやテレビ業界にいるという選民意識から来ているのだろうか。
根拠も調査もない中で、自分の中でつくったストーリーを語るのなら、あくまでこれは自分の考えたストーリーです、そういう思いなのです、といえばそれはエッセイになるので誰も追求はしない。
コメンテーターの戯言として処理される。
ただし報道業という職業でそれをするのなら偏向報道になるので当然論外だ。
偏向報道を客観的事実として報道していることになる。
しかしながら、どうしてエッセイを科学だとおもいこんでいるのか、ほんとうにさっぱりわからない。
科学でないものは再現性がない。
効果測定もそれに基づいた構築もしようがない。
客観的事実であるのをご存知ないのかといいたい、だけなのか。
自己の分析は非常に客観的であるということで自己崩壊を防ごうとしているのか。
ひとりで生活してひとりで生計をたて、ひとりで将来設計をする限りにおいて、エッセイはその人にとって科学になる。
ゆえにその人に関しては再現性がある。
そうでないなら、個人の言説を社会調査の結果のように垂れ流すのは害悪でしかない。
あくまでそうおもっただけの私の妄想で私の思い込みで、私の勝手な危惧ですといえばいい。
個人の感想ならそういうこととして処理されるだけのことだ。
YOUTUBEででも語っていればよい。
裸の王様も大概にした方がいい。