オールドメディア – JUiCANDSEA

動画コンテンツのあれこれ

gaccoがあまりしられていないようなのだが、非常に良質な学習コンテンツを無料で公開しているのでぜひぜひ利用してほしい。
登録制で、ムービーをいくつか見て、修了テストをうけて認定という形式をとっている。

https://gacco.org/

コンテンツの中での考えがどうのこうのはあるかもしれない。
基本、事実ベースの解説なので、イデオロギーがあるわけではないので、安心して学習できる。

似た学習サイトにschooというのがあるが、schooはやや実務に近く、今時のネタをとりあげている。
演出もわかりやすさをベースにしている。
新書や技術書などを書かれている方が約1時間にわたってテーマにそって講義をしている。

司会がいるので交通整理をしながらすすめていってくれる。
まずは生放送、という形式で、生放送中はチャットで質問をすることもできる。
放送後はアーカイブされる。

10ミニッツTVはgaccoのイメージに近く、これも大学の講義のような感じだ。

https://10mtv.jp/

これに近いのはクーリエ・ジャポンの動画コンテンツだろう。
こちらは動画の追加がしばらくないので、有料会員としてはやや不満に感じているが、一般教養を高める良質なコンテンツ揃いなのでぜひ更新を増やしてほしいと切に願う。

https://courrier.jp/contour/

ダイレクト出版の動画サブスクという、戦争や経済、医療、食などの裏舞台をもっと知りたいという人にはおすすめのコンテンツがあるが、やや思想が強そうな動画コンテンツなので、注意してみた方がよい。
コースごと、動画ごとに課金されている。

ずっとフランクなのは、ほぼ日の学校で、エンタメの人や焼きそば研究科のようなニッチな専門家などもでてきて、日常の中のおもしろさがみつかるかもしれない。

https://school.1101.com/

ジャーナリストはほとんどの分野ではど素人である

SNSが機能しているであろう現在、情報は常に衆目に晒される。
衆目の中には各業界のプロが必ずいる。
業界のプロでなくても、冷静に論理的に客観的に事案を分析できる人はいくらでもいる。

オールドメディアのイズム型ジャーナリストがあまりにもそれらの現実を理解できていなくて、見ていて哀れにおもう。
本当のジャーナリストはファクトチェックに忠実で、伝聞をもとにした論理構築などはしない。
いまやジャーナリストでなくても事実や見解を伝播することはSNSなどでできる。
マスコミである必要はない。
ジャーナリストそのものの存在がまさにいま問われている。

ジャーナリストはすべての事案に関わる仕事だ。
当然それぞれの事案の当事者でもなく、専門家でもない。
それぞれの業界からしたら付け焼き刃のただの素人だ。
経済学の素人であり、政治の素人であり、行政の素人であり、デザインの素人であり、料理の素人であり、ITの素人であり、経営の素人であり、ほぼすべての素人だ。
何度も各業界のプロに接していようが、内側か外側かでは全然情報量も熱量も違う。

外側だと暗黙知をそもそもないし、その業界への熱量ももてない。
ただ、文章は日常的に書いているので、現代国語に関してはプロといっていい。
取材も日常的にしているので、取材業に関してもプロだ。
上手い下手に関わらず、論理的にはプロである。

さて、その聞き取る、書く、に関してはプロではあるが、その他に関しては素人のジャーナリストはおそらく副業や兼業で他の専門業をしている人は職業倫理上いないだろう。
それゆえ、それぞれの分野のプロとしての挫折や失敗、間違いはわからないはずだ。
それは当然で、だからこそ、プロではないことに関しての意見を持つ際はかなり謙虚に行動した方がよい。
プロに教えを乞う、事実の比較検証をする、そこで疑問点が出ればその部分だけを再度当事者に確認をする。
当然確認の前にしっかり調べておく。

調べてもわからない部分を当時者に確認すればよい。
事実がわからないSNSによると、とか、youtubeによるととか、匿名の素人が情報整理しているウィキペディアに書いているが、などは当然論外である。
そのうちChatGPTによるとと言い出しかねない。

そういうことをあらためて思わせるほど、現状はかなりひどい。
基本的な取材を怠ったり、聞くべき点をまとめず、私見を滔々と述べる。

オールドメディアと昨今呼ばれているのは正式な悪口であり、なくなるべき存在であるという意味でそう呼んでいるのではないか。

郵便局やクロネコの配達員の人がお届けする本を渡し際に、こんなの読むんですか、ということを思っていてもいうはずがない。
配達という職掌とは違うから当然である。

オールドメディアのオールドジャーナリストはせめてクラシックメディアと呼ばれるようになろう。
基本に忠実になって、一からやり直す。
ニュース関係はいまネットで十分である。
新聞を購入する必要はない。
事実だけつたえればよい。
誘導など尊大はなはだしい。

そもそも伝達業の人の意見は必要ないのだ。
意見なら自分のチャンネルでいえばいい。
興味のある人はみる。
支持する人は支持する。
意見を持つのは当然だ。
その意見を公器でいうのは傲慢極まりない行為だ。
ジャーナリスト以外の人間はできないだろうというマウント以外の何者でもない。

かつて廃刊になった「朝日ジャーナル」を熱心に読んでいた私は今のイズム型ジャーナリストの凋落がとても腹立たしい。
いまは恫喝や脅迫などをしなくても、イズムで叫ばなくても情報は手にはいる。
世論は動かせる。

第四の権力などではもうなくなったのだと自覚してほしい。
取材をして原稿を書く暇をあたえられているジャーナリストはファクトチェックに忠実に、その原点からやりなおしてほしい。
Yahooニュースライターと朝日新聞記者がおんなじでいいのか。

エッセイは科学ではない

すぐに炎上するオールドメディアのコメンテーターは自分の発言が記録され、文章化され、各方面で分析されて論破されているという現状を理解できないのだろうか。
まったくYOUTUBEもSNSも見ないということなのだろうか。

YOUTUBEやSNSの分析などまったく力がないと見くびっているのだろうか。
その自信はオールドメディア人の年収の高さ、マスコミやテレビ業界にいるという選民意識から来ているのだろうか。

根拠も調査もない中で、自分の中でつくったストーリーを語るのなら、あくまでこれは自分の考えたストーリーです、そういう思いなのです、といえばそれはエッセイになるので誰も追求はしない。
コメンテーターの戯言として処理される。
ただし報道業という職業でそれをするのなら偏向報道になるので当然論外だ。
偏向報道を客観的事実として報道していることになる。

しかしながら、どうしてエッセイを科学だとおもいこんでいるのか、ほんとうにさっぱりわからない。
科学でないものは再現性がない。
効果測定もそれに基づいた構築もしようがない。
客観的事実であるのをご存知ないのかといいたい、だけなのか。
自己の分析は非常に客観的であるということで自己崩壊を防ごうとしているのか。

ひとりで生活してひとりで生計をたて、ひとりで将来設計をする限りにおいて、エッセイはその人にとって科学になる。
ゆえにその人に関しては再現性がある。

そうでないなら、個人の言説を社会調査の結果のように垂れ流すのは害悪でしかない。
あくまでそうおもっただけの私の妄想で私の思い込みで、私の勝手な危惧ですといえばいい。
個人の感想ならそういうこととして処理されるだけのことだ。
YOUTUBEででも語っていればよい。

裸の王様も大概にした方がいい。

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