Critical thinking – ページ 3 – JUiCANDSEA

川を上り、海を渡る

「川を上り、海を渡る」とは歴史を遡り歴史の源流を探求することと、海外に学ぶことを意味する比喩である。

いまおこっていることの事例を探し、次の展開を予想する。
その予想にあわせてあらかじめ準備し、行動するという意味になる。
あらゆる事象が物理現象のように正確にあちらこちらで繰り返されるわけではない。

しかしながら、繰り返されてる部分もかなりあるので、「川を上り、海を渡る」ことで精査することは間違いとはいえないということだ。


東浩紀氏と三宅香帆氏の言論プロレス

東浩紀氏と三宅香帆氏の対談は無期限延期になっている。

東浩紀氏は批評家で、一方、三宅香帆氏は文芸評論家である。
同じようで違う役割を果たしているので、水と油かもしれない。
東浩紀氏はまず否定することから事物の本質を見極めようとしているのに対し、三宅香帆氏はもっと読書を広めたいというの読書布教のようなことを使命にしている。
対談をしていがみあって喜ぶ第三者もいるだろうが、結局誰のためにもならないような気がする。
それぞれの持ち場で粛々と活動していってくれるのが言論界では望ましいかもしれない。

かつてのゲンロンプロレス、たとえば本多勝一と山本七平などの言い争いは面白く手を叩いてみていたが、いまそれをすると大惨事になることは予想がつく。
プロレスにならないからだ。
相手を選んで、場合によってはしないのが賢明である。

学校のなかのコンビニ活用

公立高校の中にコンビニができた。
いままでなかったそうだ。

今のご時世はやはりコンビニはあった方がいい。
高校生なのでお金をどうするかという問題はあるだろう。
それこそ学校内でアルバイトをするとかコンビニと商品を共同開発して稼ぐ方法などいろいろアイデアをだしていけばよい。
社会にでれば資本主義の中でいろんな思惑にさらされるわけだから、学生時代にそういう実学も教養と同じように学ぶほうが逞しくなれる。

先生がそんなに忙しいのなら、学生に有料で何か手伝わせたらよい。
お金をもたせるのよくないなら、コンビの商品支給でもよい。
商品購入の費用はこども家庭庁の予算が7兆4229億円あるので、そこからもらえばよい。
先生も助かる。学生もよろこぶ。経済も回る。景気もよくなる。

https://mainichi.jp/graphs/20251001/mpj/00m/040/154000f/20251001mpj00m040150000p#goog_rewarded

セミナーは時代とともに解像度があがる

セミナーを何十年としてきた。
デザインやプログラムをはじめたばかりのリカレント生や学生向けのセミナーがメインである。
他業界からの転職組に対して、デザインとコンテンツがいまどういう状況におかれているのかと今後ぼくたちができることについて話すことが多い。

セミナーは一回限りなので、デザインやコンテンツの隅々までは説明ができない。
概要を舐める感じで、マーケティング部分に多く時間を割いている。
ドッグカフェにキャットフードを売り込まないようにする、そのためにはどうするか、という話だ。

最近はとくに需要予測が顕著に効果を発揮しているので、そのあたりとデザイン、コンテンツの関係をデザイン制作の視点から講義している。

生活はほぼアナログなので、デジタルだけではなくアナログも大事だ。
たとえば町の交差点に差し掛かるとずいぶん車を優先しているところと歩行者を優先しているところがある。
事故を減らしかつ交通量をよくするために、どういう人が住んでいるのか、どういう行動をするのかで調整しているはずだ。
渋滞学がつかわれているはずである。
渋滞学は顧客接点でどう利用できるのか。
このあたりの深い洞察は社会学者の仕事なのでここでは割愛するが、顧客接点にこそデザインやコンテンツがあるので、そこを中心に考察する。

顧客接点というイシューからコンテンツやデザインを考える。
これは課題解決としての役割としては基本であり、絶対におさえておかないといけないポイントだ。

セミナーはいままで数百回以上してきたが、時代共に解像度が上がっているような気がする。
内容がというよりも解像度を上げないと時代にあわないというイメージだ。
LLMがそういう意味では一番いまおもしろい。

考えるを考える

思うと考えるは対象の数が違う。
大野晋氏の『日本語練習帳』をみてみよう。

つまり、「思う」とは、一つのイメージが心の中にできあがっていて、それ一つが変わらずにあること。胸の中の二つあるいは三つを比較して、これかあれか、こうしてああしてと選択し構成するのが「考える」。

(大野晋著『日本語練習帳』より)

思うはもう決定していて、考えるはまだ決定していない、そういう違いがあるそうだ。
さらに思うは対象物が1つで、考えるは比較作業なので対象物が2つ以上になる。

つまり、あなたを思うはあなたのことだけをおもっているが、あなたを考えるはあなた以外の人と比較して、あなたを考えている、ということだ。

こういう単純な言葉も専門書を読まないとなかなか気づかない。

考えるの最古の例は日本書紀にあるそうだが、これをgoogle検索(考えるの最古の例は日本書紀 で検索)をすると

「考える」という行為の最古の例として『日本書紀』を挙げることはできません。

とgoogleは嘘をつく。

再度今度は

考えるの最古の例 

でgoogle検索すると

「考える」の語源をさかのぼると、古くは「かむがへる」という言葉があり、『日本書紀』では「刑罰を決める」という意味で使われたのが、確認されている初期の例の一つです。

と出る。

googleやGeminiで かむがへる は日本書紀にありますよね、これが考えるの最初ではないかと問い詰めると

日本書紀には かむがへる はありません、平安期に云々

とまだ言い出すので、

『日本書紀』に「罪人を刑罰に処する際に、事柄を『勘(かん)がへ(がへ)る』」という表現が見られますが、これではないのですか、とさらに詰問すると

ご指摘の通り、『日本書紀』には**「勘がへる」の漢字表記である「勘へ」や「勘」**の字が使われています。

と観念して、言い訳をしだしたのでうっとうしく感じたので、closeした。 

AIはまだまだ未熟なのはわかっていることなのでここでは問わない。
このあたりの検索性がどの程度ベクトル検索になっているのかよく調べていないのでなんともいえないが、そのうち学習するのだろう。

検索の仕方、質問をもっと洗練させないと正しい答えにはいきつかないということがよくわかった。

要するに、思うと考えるは対象の数が違うということと、考えるのもとは罪人を刑罰に処する際につかわれていたということだ。

日本の言葉は深い。

正解を最後に一瞬だす、底意地の悪さ

ショート動画で最後に正解をだすが、FIXが1秒しかなく、すぐにループして頭に戻るので再度見るか、最後のフレームで止めて確認させるという底意地の悪い動画をつくっているときの動画制作者はどういう気持ちなのか。

ループをさせることで視聴回数を稼ぐ、滞在時間を増やすということのために視聴者をせいぜい利用させてもらうというサイコパスな気持ちで制作しているのか。
無料で見ているから云々という、フリーミアムの意味、手法がわかってないのなら業者としては三流以下なのでやめてしまえとおもう。
心の汚れた状態をずっと続けていると体に悪いぞ。

その人生、つまらなくないか。

5年以内に日本の経済は破綻する確率は1%かどうか

高橋洋一氏は5年以内に日本の経済が破綻するリスクが1%だという。
そうであれば、その1%をどうやって0.9%、0.8%と減らしていくかという話に意味があるし、そもそも1%という根拠はなにかを検討することでもいろんなことがみえてくるはずだ。
高橋洋一氏の計算式の根拠やスコープが本当に正しいのか、どこかであいまいになっていたり、解釈を間違えているところはないのか。
そういうことを客観的に朝日の編集委員、原真人氏は追求すればよい。
いろんな数字になっている基準はそれなりちゃんとした根拠があるはずだ。

天災の法則と経済法則をごちゃまぜにしたり、とにかく危ないんだということだけしかいえないのなら、ジャーナリストは必要ない。
一介のジャーナリストは真摯にそれぞれの専門家の意見を詳細に聞く。
矛盾点があればそれを正す。
そこに論理のプロとしてプロレスをしかければいい。

結論ありきで、世論を誘導する、注意喚起する、そういう昭和の手法はいますぐやめる。
その古き使えないやり方に高橋氏は怒っているのだ。

金融の専門家をいつも取材しているのなら、専門家が設定しているスコープやからくり、人の許容値の解釈などいくらでもつめれるところはあるはずだ。
いつまでたってもこれではKPIをつくることができないし、前に進まない。
ジャーナリストはかなり重い責務を背負っていることをもっと自覚してほしい。
新聞やテレビの報道解説委員がひろゆきを越えられていないという感じがしてならない。

IT予想の答え合わせ

2000年前後に購入したITについて語った本を今読み返すと、著者の予想はどれも外れているのが興味深い。

25年後に、ふつうの学生がAIをつかって作曲をしたり、動画をつくったり、レポートをまとめたりするとはおもわなかったのかもしれない。
だからこそ自分の陳腐な経験を信じて断言をしてはいけない。

予断を許さないが、IT雇用はそんなに増えないだろうということを赤木昭夫(93)氏は2001年に「世界別冊 50問 これが核心だ!」(107p)に書いているが、IT雇用は増えた。

いまITを無視して生活などできないし、リカレント学校でもITで再就職はあたりまえになっている。
ふつうに企業でもDXといっているではないか。
赤木昭夫氏は間違いました、あの時はよくわかりませんでした、といまのうちに訂正しておかないといけない。

赤木氏の経歴をみると、評論をしてIT周辺でITをネタに活動をしていたみたいだが、実際プログラムを組めるわけでもコンテンツを制作してきたわけでもないようだ。

つまり技術の内側はなにもわかっていないひとだ。

大学教授だ、自認ジャーナリストだ、自認社会学者だ、自認科学者だというので、殿様扱いをされていた、権威主義を中心とした昭和はもう終了している。

もっと謙虚に現場の、職人の、プロの人の声やそこで起こっていることを聞き、考えていくことから始めるべきである。

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