Critical thinking – ページ 3 – JUiCANDSEA

合成の誤謬

ミクロの達人を集めてマクロの話をさせても解決ができるとはおもえない。

有識者会議での有識者のミクロな意見には現場の気づきは含まれているので益はあるだろう。
現場の意見は大事だ。

ただそれはあくまでミクロからの視点なので、マクロでは重要ではなくなるかもしれない。
情報はあった方がいいので、参考にする分にはよい。
ミクロとマクロを同時に携わっている人が判断するのがよりよいだろう。

経済は物理とはどうも一致していない。
マクロ経済学でさえ統一見解がないのだから、ミクロ経済の視点を足して答えがでるわけがない。
経済物理学というのが最近よく耳にするが、数学的、統計的、いまではAIの技術をいれてどの程度精確なのかが答えがでていない。
そこが人間社会のやっかいなところだ。
グループで判断する、いわゆるグループシンクは誤った判断が多いことで知られている。

今回の高市早苗総裁の予想もマスコミはことごとく外している。
人が経済を動かしている。
ザイアンス効果(何度も会う人に好意を持つ心理現象)などは経済効果などにどれくらい係数として計算されているのか。
マスコミの場合はイズムというやっかいなバイアスがあるので、合成の誤謬やグループシンク以前の話でかもしれないし、これからはもうただただ無力であることが証明されていくだろう。

合成の誤謬はまだまだあちらこちらにあるのではないか。

風は鳳

「風」という漢字の成り立ちが興味深い。

風がどこから吹いているのかという疑念から始まって、もともとは神が起こしているという話からできた字が変形を繰り返して「鳳」になり、「鳳」から「風」が分離して、独立したのが「風」だそうだ。

ではなぜ、鳥が虫になったのかという疑問がまたでてくるが、「虫」は竜のことを表している、という説があり、竜は大きな蛇の一種なので、「蛇」が「虫へん」で考えると、「風」の中の「虫」が竜であっても、違和感はないということになる。

伝承なのでどこかでこんがらがったり、伝えミスがおこったりして辻褄が合わなくなっているのかもしれないが、風という字のなかにもこれだけの物語があるので、漢字はコンテンツの宝庫なのだと改めておもう。
ところで虫の上にある前髪のような ノ はなんなんだろうか。
鳳の ノ だけがいきのこった、ということか。

お笑いの効果

イギリス・ウォーリック大学の研究によると、お笑い番組をみてから仕事をするとパフォーマンスが12%もあがるそうだ。

幸福感が高まったことで、脳内でドーパミン(快楽や学習を助ける神経伝達物質)が分泌され、集中力と発想力がブーストされた結果ということになる。
どういうお笑いがいいのかわからないが、幸福感が高まる類のお笑いということだから、各個人の幸福観からお笑いを選択すればよい。
あらためて自己の幸福観を確認するのもこれまた難しいが、すべては己をしるという基本から始まるのは納得がいく話だ。

川を上り、海を渡る

「川を上り、海を渡る」とは歴史を遡り歴史の源流を探求することと、海外に学ぶことを意味する比喩である。

いまおこっていることの事例を探し、次の展開を予想する。
その予想にあわせてあらかじめ準備し、行動するという意味になる。
あらゆる事象が物理現象のように正確にあちらこちらで繰り返されるわけではない。

しかしながら、繰り返されてる部分もかなりあるので、「川を上り、海を渡る」ことで精査することは間違いとはいえないということだ。


東浩紀氏と三宅香帆氏の言論プロレス

東浩紀氏と三宅香帆氏の対談は無期限延期になっている。

東浩紀氏は批評家で、一方、三宅香帆氏は文芸評論家である。
同じようで違う役割を果たしているので、水と油かもしれない。
東浩紀氏はまず否定することから事物の本質を見極めようとしているのに対し、三宅香帆氏はもっと読書を広めたいというの読書布教のようなことを使命にしている。
対談をしていがみあって喜ぶ第三者もいるだろうが、結局誰のためにもならないような気がする。
それぞれの持ち場で粛々と活動していってくれるのが言論界では望ましいかもしれない。

かつてのゲンロンプロレス、たとえば本多勝一と山本七平などの言い争いは面白く手を叩いてみていたが、いまそれをすると大惨事になることは予想がつく。
プロレスにならないからだ。
相手を選んで、場合によってはしないのが賢明である。

学校のなかのコンビニ活用

公立高校の中にコンビニができた。
いままでなかったそうだ。

今のご時世はやはりコンビニはあった方がいい。
高校生なのでお金をどうするかという問題はあるだろう。
それこそ学校内でアルバイトをするとかコンビニと商品を共同開発して稼ぐ方法などいろいろアイデアをだしていけばよい。
社会にでれば資本主義の中でいろんな思惑にさらされるわけだから、学生時代にそういう実学も教養と同じように学ぶほうが逞しくなれる。

先生がそんなに忙しいのなら、学生に有料で何か手伝わせたらよい。
お金をもたせるのよくないなら、コンビの商品支給でもよい。
商品購入の費用はこども家庭庁の予算が7兆4229億円あるので、そこからもらえばよい。
先生も助かる。学生もよろこぶ。経済も回る。景気もよくなる。

https://mainichi.jp/graphs/20251001/mpj/00m/040/154000f/20251001mpj00m040150000p#goog_rewarded

セミナーは時代とともに解像度があがる

セミナーを何十年としてきた。
デザインやプログラムをはじめたばかりのリカレント生や学生向けのセミナーがメインである。
他業界からの転職組に対して、デザインとコンテンツがいまどういう状況におかれているのかと今後ぼくたちができることについて話すことが多い。

セミナーは一回限りなので、デザインやコンテンツの隅々までは説明ができない。
概要を舐める感じで、マーケティング部分に多く時間を割いている。
ドッグカフェにキャットフードを売り込まないようにする、そのためにはどうするか、という話だ。

最近はとくに需要予測が顕著に効果を発揮しているので、そのあたりとデザイン、コンテンツの関係をデザイン制作の視点から講義している。

生活はほぼアナログなので、デジタルだけではなくアナログも大事だ。
たとえば町の交差点に差し掛かるとずいぶん車を優先しているところと歩行者を優先しているところがある。
事故を減らしかつ交通量をよくするために、どういう人が住んでいるのか、どういう行動をするのかで調整しているはずだ。
渋滞学がつかわれているはずである。
渋滞学は顧客接点でどう利用できるのか。
このあたりの深い洞察は社会学者の仕事なのでここでは割愛するが、顧客接点にこそデザインやコンテンツがあるので、そこを中心に考察する。

顧客接点というイシューからコンテンツやデザインを考える。
これは課題解決としての役割としては基本であり、絶対におさえておかないといけないポイントだ。

セミナーはいままで数百回以上してきたが、時代共に解像度が上がっているような気がする。
内容がというよりも解像度を上げないと時代にあわないというイメージだ。
LLMがそういう意味では一番いまおもしろい。

考えるを考える

思うと考えるは対象の数が違う。
大野晋氏の『日本語練習帳』をみてみよう。

つまり、「思う」とは、一つのイメージが心の中にできあがっていて、それ一つが変わらずにあること。胸の中の二つあるいは三つを比較して、これかあれか、こうしてああしてと選択し構成するのが「考える」。

(大野晋著『日本語練習帳』より)

思うはもう決定していて、考えるはまだ決定していない、そういう違いがあるそうだ。
さらに思うは対象物が1つで、考えるは比較作業なので対象物が2つ以上になる。

つまり、あなたを思うはあなたのことだけをおもっているが、あなたを考えるはあなた以外の人と比較して、あなたを考えている、ということだ。

こういう単純な言葉も専門書を読まないとなかなか気づかない。

考えるの最古の例は日本書紀にあるそうだが、これをgoogle検索(考えるの最古の例は日本書紀 で検索)をすると

「考える」という行為の最古の例として『日本書紀』を挙げることはできません。

とgoogleは嘘をつく。

再度今度は

考えるの最古の例 

でgoogle検索すると

「考える」の語源をさかのぼると、古くは「かむがへる」という言葉があり、『日本書紀』では「刑罰を決める」という意味で使われたのが、確認されている初期の例の一つです。

と出る。

googleやGeminiで かむがへる は日本書紀にありますよね、これが考えるの最初ではないかと問い詰めると

日本書紀には かむがへる はありません、平安期に云々

とまだ言い出すので、

『日本書紀』に「罪人を刑罰に処する際に、事柄を『勘(かん)がへ(がへ)る』」という表現が見られますが、これではないのですか、とさらに詰問すると

ご指摘の通り、『日本書紀』には**「勘がへる」の漢字表記である「勘へ」や「勘」**の字が使われています。

と観念して、言い訳をしだしたのでうっとうしく感じたので、closeした。 

AIはまだまだ未熟なのはわかっていることなのでここでは問わない。
このあたりの検索性がどの程度ベクトル検索になっているのかよく調べていないのでなんともいえないが、そのうち学習するのだろう。

検索の仕方、質問をもっと洗練させないと正しい答えにはいきつかないということがよくわかった。

要するに、思うと考えるは対象の数が違うということと、考えるのもとは罪人を刑罰に処する際につかわれていたということだ。

日本の言葉は深い。

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