Critical thinking – JUiCANDSEA

社会の質を考える

今時、重力の存在を否定するひとはあまりいないとおもうが、ならばなぜその重力のせいで無駄にエントロピーが増える物の作り方をするのかが、全く理解できない。
たとえば本はやたらとツルツルのコーティングをしたがるが、あれをすると本を積み上げると滑りやすく、すぐに雪崩がおきたりする。
結果、再度、整理するという無駄なエネルギーをうみだしているが、そもそもツルツルコーティングなどせずにマットにしておけば摩擦が発生し、雪崩が起きにくくなるはずだ。
たとえばいろんなプロダクトもトップの形状をやや斜めにしているデザインが多いが、あれだとその上に物をのせると滑り出すので、やや斜めなどにせず、平らにしておけば滑るリスクが減るはずだ。トイレのロールペーパーの上部がまさにそうだ。
スマホをおくと、程なく滑り落ちる。
上に物をのせなくてもいいという話はまた別の検討になるのでここでは議論する必要はない。

本に関してもいろんなサイズをやたら出版しているが、そこまでサイズ違いが必要なのか。
フォークは4本しかないのは試行錯誤して4本に落ち着いた結果なのだから、本のサイズももう少し減らせば整理ももっと簡単になるのに、新書でさえ、出版社によってサイズがまちまちだったりする。どうしたいのか。

そこまで自己主張をする承認欲求、飽くなき無意味な自分勝手な欲望の具現化たる本の自由勝手なサイズをみるたびにその欲望のよだれにあきれてしまう。
欲望はたしかに発展の要ではあるが、いいかげん自重もすること、上品にいきることもこれからは大事なのではないか。
拡大、進歩だけを叫ぶのはあまりに質の低い、だらしのない生きかただ。

庶民は思っている以上に賢いぞ

生半可な知識で前提が抜け落ちていて、むしろコンテンツの意味が逆になっている発言を延々と繰り返している自称有名人はなぜ、まだその虚妄を繰り返しているのかをずっと観察している。
目的がどこかにあるはずだ。

論破されたところでそのまま、しれっと別の話に移ったりしている手法はいつも通りだが、そもそも印象操作をなぜそこまでしたいのか、その目的がしりたい。
非常に不可解で、普通に考えると金品を受け取っているのかと考えざるを得ないが、そうでないなら、その今の地位を保証されるということへのトレードオフとなるが、その地位が生み出すのは富、お金だからやはり金か、ということになる。

テレビのアナウンサーやコメント芸人の年収が500万円くらいしかなければ、発言も変わってくるんだろうと思うが、当然そんなことはなく、1000万円はゆうに行く世界だ。
その地位と環境保全のために必死なっているということであれば話はわかる。
あとは頭脳戦である。
どちらが勝つか、どちらが戦略的に優れているかの勝負になってくる。

庶民は思っている以上に色々見ているし、思っている以上に賢いぞ。

ichi-clip考察

なかなか手に入らないichi-clipはありそうでなかった逸品。
おしゃれでかつ機能性がたかいというのはデザインとしては最高の褒め言葉。
実際使っていないので耐久性など、素材としてどうかわからないが、素材もよければいうことなし。

ポールスミスの物はエモーショナルで好きだけれど(機能性はそんなによいわけではないが)、ハンドクリームのキャップが折れる、服はすぐすすける、バッグのファスナーはちぎれるなど、すぐ壊れるのはどうかと、いつもおもう。
材料が安いのか、製造工程に問題があるのか、調べたことがないのでわからないが、改善する伸び代はある。

https://shop.foodmark.co.jp/items/70050663

日本の原点は1979年ではあるがベストであるわけではない

日本の原点は1979年といわれている。

南 信長 著の『1979年の奇跡』ではその辺りをアニメやパソコン、ワープロ、映画やドラマ、報道、経済事象から考察している。
読んでいてとても懐かしく、このころ、つまりバブルの前あたりにもう一回もどるのもありかなとおもったりもする。

バブルでとち狂う前の日本の原風景がそこに収まっている。
日本人は基本幼稚なところ、無邪気なところがあるので、放置して調子にのって、いきなり規制たことで失敗したこの30年の反省を踏まえて、監視しながら随時規制、随時解放した方がよいのかもしれない。
再度バブル前にもどして監視しながら、再度やりなおすのがよい。

ワープロの成熟期に画面デザインをしたり、MDの筐体デザインをしてきた身としては自分のしてきたことがすでに歴史の中におさまってしまっているのがなんともいえず、感慨深く感じる。

いまAI主導の新しい文化はこれはこれでおもしろいので参加して、楽しみたい。
1979年は原点ではあるが、ベストであるわけではない。

接吻のいま

JAZZアレンジはとても刺激だ。
リアルタイムに原曲を聴いていた世代にもまた新しく気持ちがよい。
現役世代がこういうふうに振り付けをつけて踊るとなぜか涙がでてくる。
なんの涙だろう。

GT-S660は顧客我慢を強いる商品

さっとスキャンしたいのでGT-S660というエプソンのスキャナーを購入した。
A4モバイルスキャナーはあったが、つかいつづけると左右のスキャンスピードがずれてくるせいで、紙が斜めになったり歪んだりでまともにスキャニングができない現象がでてきたのと
プリンターと一体の複合機は以前、場所ばかりとってなにかと面倒なことが多かったので、単機能のフラットスキャナーにした。

セッティングしてわかったが、必要なスキャナーアプリをインストールしておかないと、電源すら入らないことがわかった。
正確にはスキャナーとしてデバイスは認識はしているが電源ランプがつかず、スキャンを始めない。

アマゾンレビューを読むと、EPSON SCAN2というアプリをパソコンにいれないとつかえません、と怒りながらかいてある。

確かに怒る気はわかる。

GT-S660購入時の同梱のペラペラの説明書にもGT-S660のサイトにもEPSON SCAN2必須とは書いていないからだ。
書いていないがこれをいれないとうんともすんともいわない。

サイトをみてもあちらこちら関係のないところにばかりに誘導して、肝心のEPSON SCAN2については余計な内容と同じレベルでしか紹介していない。

一度つくったものを実際に第三者が使って検証、という事をしていない証拠だ。

こういうのを【顧客我慢】という。

【顧客満足】
 = 顧客が得られると期待しているもの - 顧客が得られたと認知しているもの

【顧客我慢】
 = 顧客が本当に求めているもの - 顧客が心ならずも受け入れたもの

【顧客我慢】を改善してもなかなか満足度調査などで評価が見えないかもしれないが、【顧客我慢】を強いると二度と買わないという縁切りが行われるので、【顧客満足】以上に本当は大事なことだということをもっと経営にとりいれればよいのにとおもう。

本音ではなそう、は詐欺師の常套手段

詐欺師がよくつかう手に

”本音ではなそう”

があるそうだ。

そういえば過去、詐欺師、もしくはそれに準ずる人の口癖に

本音でいうと、
とか
本音ではなそう、

はあった。

芸人の西○の動画をみると、確かにとおもった。

本音ではなそう

とすると、それを言い出した側の土俵で事を運ばされるから、だそうだ。

確かにどういう話をするにせよ、土俵が相手側ならその土俵の中で踊らされる事になる。
大阪だと マジなはなし!だろう。

その時の顔、つまりマジな話な、を言っている人の顔を思い浮かべると、本当に醜い顔をしている。
醜いというのはこのことかと思うほど醜い。

詐欺師の常套手段はよく観察しておいた方がよい。

もちろん、自分が使うのなら、その時点で詐欺師になったという痛恨の極みを感じるべきである。

今の世の中、デジタルタトゥーは消せない。
一生悔い改めても、もう戻ることはできない社会だと認識すべきだ。

あいつは詐欺師だ、というのはこの社会では消せない。

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