business – ページ 2 – JUiCANDSEA

曖昧な倫理規定のせいで経済がまわらないのではないか

エイジング・ブーマーが消費のリーダーだといわれてもう20年以上になる。
言われ出した時にはまだSNSがほとんどなかった。

エイジング・ブーマーが世帯全体での支出額が高いものの、一人あたりの消費では若年層にはもう及ばなくなっている。
20代から30代の消費が「推し活」というかたちであらわれているということは経済界では常識だ。
どうやって熱狂的なファンになってもらえるかという取り組みが企業の中でもうすでにおこなわれている。

その逆は嫌われることをすべきではないということになる。
嫌われることとはなんだろうか。

嫌われることのひとつに正義に反する行為というのはないか。

この辺りはとっくに社会生態学者のピータードラッガーが予言してきたことで、やっと現実的になってきたような気がする。
正義はそんなに大きいことではなくて、倫理に反するようなことはするなという当たり前のことだ。
これは本当は明文化をした方がよいようにおもう。
それくらい倫理があいまいになっている。

世の中の正義のためというのもあるが、もっと現実的な話として経済が回らない原因に反倫理があるのではないかということだ。
倫理的な判断はもうAIがしてくれる時代なので、AIの倫理にも及ばないとなるとあとは自明の理だ。

ジャーナリストはほとんどの分野ではど素人である

SNSが機能しているであろう現在、情報は常に衆目に晒される。
衆目の中には各業界のプロが必ずいる。
業界のプロでなくても、冷静に論理的に客観的に事案を分析できる人はいくらでもいる。

オールドメディアのイズム型ジャーナリストがあまりにもそれらの現実を理解できていなくて、見ていて哀れにおもう。
本当のジャーナリストはファクトチェックに忠実で、伝聞をもとにした論理構築などはしない。
いまやジャーナリストでなくても事実や見解を伝播することはSNSなどでできる。
マスコミである必要はない。
ジャーナリストそのものの存在がまさにいま問われている。

ジャーナリストはすべての事案に関わる仕事だ。
当然それぞれの事案の当事者でもなく、専門家でもない。
それぞれの業界からしたら付け焼き刃のただの素人だ。
経済学の素人であり、政治の素人であり、行政の素人であり、デザインの素人であり、料理の素人であり、ITの素人であり、経営の素人であり、ほぼすべての素人だ。
何度も各業界のプロに接していようが、内側か外側かでは全然情報量も熱量も違う。

外側だと暗黙知をそもそもないし、その業界への熱量ももてない。
ただ、文章は日常的に書いているので、現代国語に関してはプロといっていい。
取材も日常的にしているので、取材業に関してもプロだ。
上手い下手に関わらず、論理的にはプロである。

さて、その聞き取る、書く、に関してはプロではあるが、その他に関しては素人のジャーナリストはおそらく副業や兼業で他の専門業をしている人は職業倫理上いないだろう。
それゆえ、それぞれの分野のプロとしての挫折や失敗、間違いはわからないはずだ。
それは当然で、だからこそ、プロではないことに関しての意見を持つ際はかなり謙虚に行動した方がよい。
プロに教えを乞う、事実の比較検証をする、そこで疑問点が出ればその部分だけを再度当事者に確認をする。
当然確認の前にしっかり調べておく。

調べてもわからない部分を当時者に確認すればよい。
事実がわからないSNSによると、とか、youtubeによるととか、匿名の素人が情報整理しているウィキペディアに書いているが、などは当然論外である。
そのうちChatGPTによるとと言い出しかねない。

そういうことをあらためて思わせるほど、現状はかなりひどい。
基本的な取材を怠ったり、聞くべき点をまとめず、私見を滔々と述べる。

オールドメディアと昨今呼ばれているのは正式な悪口であり、なくなるべき存在であるという意味でそう呼んでいるのではないか。

郵便局やクロネコの配達員の人がお届けする本を渡し際に、こんなの読むんですか、ということを思っていてもいうはずがない。
配達という職掌とは違うから当然である。

オールドメディアのオールドジャーナリストはせめてクラシックメディアと呼ばれるようになろう。
基本に忠実になって、一からやり直す。
ニュース関係はいまネットで十分である。
新聞を購入する必要はない。
事実だけつたえればよい。
誘導など尊大はなはだしい。

そもそも伝達業の人の意見は必要ないのだ。
意見なら自分のチャンネルでいえばいい。
興味のある人はみる。
支持する人は支持する。
意見を持つのは当然だ。
その意見を公器でいうのは傲慢極まりない行為だ。
ジャーナリスト以外の人間はできないだろうというマウント以外の何者でもない。

かつて廃刊になった「朝日ジャーナル」を熱心に読んでいた私は今のイズム型ジャーナリストの凋落がとても腹立たしい。
いまは恫喝や脅迫などをしなくても、イズムで叫ばなくても情報は手にはいる。
世論は動かせる。

第四の権力などではもうなくなったのだと自覚してほしい。
取材をして原稿を書く暇をあたえられているジャーナリストはファクトチェックに忠実に、その原点からやりなおしてほしい。
Yahooニュースライターと朝日新聞記者がおんなじでいいのか。

結構です、は最高の褒め言葉に。

ビジネスで使う文章は法律文のようにかなり厳密にした方が良いようだ。

日本語をうまくつかえず説明が無茶苦茶になる人、キーワード読みして意図を取り違えている人など結構見受けられる。

結構です、というのはいまのところ、いりません、で伝わっているようだが、近いうちに、OKの意味とか最高の喜びの意味で使う人が増えてくるのは十分ありえる。
結構なお味という表現がそのままの意味として、ああ、最高に喜んでくれたんだということになる。

日本語は柔軟な言葉なのでそういう未来は想定内で考えた方がいい。
暮らしの中では笑い話になるからいいが、ビジネスで文章の解釈違いは致命傷にもなりかねない。
ある程度、契約書なみの言葉をつかうしかないのではとおもう。
ただ、そうなるとその文章自体を解読できないという根本的な問題もでてくる。

難儀だ。

それは悪手です

それは悪手です、という言葉はどうもネットで流行っているスラングのようで、最近あちこちでよくみかける。
それは悪手です、あなたは騙されています、善良なる私のいうことをおき聞ください、と言わんばかりの使い方である。
正義の味方、登場のような間抜けな漫画的セリフだ。

利益度外視で、私は正直にあなたを良き方向に導いている。
今やっていることをすぐにやめてこちらのいう通りにしてくださいという感じだ。

当該の内容をあまり理解していない人はありがたいと感謝しながら騙されるというパターンである。

悪手かどうかを、利益をやりとりしている片方がいうのは烏滸がましい。
かつ論理的に間違っている。

利益に関わらない第三者がいう場合に限り、それは悪手ですといっていい。

知り得るかぎりではSEO業者やサイト運用業者にはコーディングやプログラムのこと、現代国語のしくみをしらない人が多く、その割に営業手法や商業用語はよく知っていたりするので、そういう正義の言葉で丸め込もうとしている節がある。

SEO業者やサイト運用業者がコーディングやプログラムをバリバリできる必要はないが、全然サイトを組めない、コーパスもわかっていないような人はそれこそバリデーション問題を抱えたAI、つまり記号と記号のつながりしか理解できていないAIと一緒で、記号と事物のつながりを間違っていたりする。

赤くて丸っこいもの、やわらかそうだ、おいしそうといわれている、うるさい、ちいさいという意見とずいぶんおもったより大きいという意見がある、さてそれはなにか。
わからないので、とにかく食べてみたらよいのでは、食べてみないとわかりません。食べずに評価するのは悪手です、とお客様にお勧めする。

答えは、赤ちゃん。

おいしそうはあくまでたとえで、赤ちゃんをたべるわけではない。
丸っこいも全体の角が丸い感じであって、別に丸ではない。
死にそうだと口癖にいう人は別に本当に死ぬ寸前ではなく、大げさにいう癖がついているだけで、死ぬかどうかはその人の表情や行動をみればわかる。
誰も本気で死ぬとはおもっていない。

業者はなにをすすめてるんだということである。

経済成長と経営コンサルタント

自然界は変化しつづける。
宇宙が拡大しつづけているのであれば総量は概ね拡大しつづけていることになる。
その変化や拡大にあわせて、経済の総量を最適化できていれば経済成長というかたちになる。

変化し拡大している自然界にあわせなければ淘汰される。
最低限でも変化量分は成長し拡大しないと現状維持にはならない。
維持できなければ経済は後退する。
しかしながら過度な拡大は結局、足腰の成長が追いつかず破綻する。

どのあたりでとどめておいた方がいいか、その目安の目利きがコンサルタントの仕事だとおもうが、そういう経営最適化の指導は実際どうしているのだろうか。
数値の目安を指し示しているのだろうか。
目安がないままヒントだけいただいても意味がない。

法人手続き

法人手続きをおこなう。
個人事務所の屋号通帳から個人口座へ振り替えし、
個人の口座から法人口座へ再度振り替える。

資本金があることを証明する必要があるということで、個人口座の通帳の残高をコピーして提出する。

その後、法人口座を開設するが、いったいいつ資本金が口座にあることを証明する機会がくるのかは今のところ謎である。
口座に資本金が全額ある必要はないという話もあったり、
全額資本金が最初にふりこまれていないといけないという話があったりと会計士によって違うのか、曖昧なのか。

今後は有限資産を意識して活用しよう。
もっと気を引き締めて。

アンパンマン会議

アンパンマンにはアンパンマン会議(玩具メーカー4社からなる)というのがあって、長期安定を目指す戦略を立てていたそうだ。
たまたま古い雑誌(流行通信スペシャル号 オタクになれないアニメ好きの本 p.81)をみると、そのあたりの事がかいていた。
ブームにならなくてもいいから長く子供たちに愛されるようにしようというコンセプトである。
そういう判断基準があると物事はすすめやすい。

鉄量投入の多い方が勝つならば

最近、経営実務や分析の世界でKPI(Key Performance Indicatorの略。重要業績評価指標のこと)が話題になっている。
闇雲に指標もたてずにただ仕事に邁進するのではなく、指標をきっちりたてて客観的に測定し、結果を比較検討し、その上で施策をだそうということだ。
これは今に始まったやり方ではない。

優れた戦略家や事業者は昔からおこなってきた至極まっとうな戦術である。

日本陸軍の参謀で戦略家の堀 栄三氏はかつて『大本営参謀の情報戦記』で、戦闘の趨勢をはかる指標は鉄量であると記している。
戦争に勝つのは戦場に投入される鉄量が多い方だ。
この発見はその後、どう活かされたのか。

鉄量戦では勝てないとわかった日本は鉄量に影響されない戦闘法に切り替えた。
最終的な結果は敗戦だが、うまく結果につなぐことができなかったいろんな要因、例えば長期戦になったなど、いろいろとあったのだろう。
このあたりは先の大戦をどう評価するかという別の話になるのでここでは割愛する。

ここで取り上げたかったのは指標を明確にするということをビジネスの世界で再度、考えてみたかったからだ。
業界の弱者はいまその弱者がいる業界にある標準指標を明確にした上て、その指標そのものを無効化する戦略をたてればいいということになる。

厳密にいうとKGI(Key Goal Indicator 重要目標達成指標)をたて、達成度をそのKGIで評価し、その戦略目標達成に至るまでの「戦術」レベルでの目標達成度をKPIで評価し、なんらかの値を越えれないとなると戦術をかえる、指標をかえるということだ。
いわゆるUSP(Unique Selling Proposition 自社の強み)の確立です。
このあたりのKPIとKGIとUSPの関係をもっと掘り上げるといろいろな発見があり、企業活動の活性化に活かせるので個別の事例で考えていきたい。

HOME
HOW TO
WORKS
THINK of
ABOUT
CONTACT