かなり昔、20年以上前、まだ高校生くらいのときに保守派の論客、
会田雄次氏のエッセイを読んで記憶に残ったものがある。
たしか「ものくるる友」みたいなタイトルだったかとおもう。
どういう話かというとなんでもない、
ものをくれる友はありがたい友だという、そんな話。
なぜ記憶に残ったのかとよくわからないが、言葉ではなくモノというダイレクトさ、
げんきんさ、そこにひかれたのかもしれない。
最近の啓蒙書に「まず与えよ、そうすれば与えられる」ということがよく書いてある。
まるで真理のように。
成功した人が書いているのでたぶん成功という観点からは真理だとおもう。
言葉、この場合はいい言葉はもちろん与える方がいいに決まっているが、
言葉は言葉なのでお腹がすいていたり仕事が欲しい人には
言葉の力には限界がある。
当然、ないよりある方がいいが、機能的限界がある。
機会をあたえる、というのも確かにモノを与えるくらいにありがたいことだ。
与えられる人が元気であれば。
返報性というのは人にも動物にもあるので、
与えられた貸しを受けたままというのは気持ちが悪くて必ず返そうとする。
言葉は言葉で返す。
人はいつ何時ピンチにおちいるかわからない。
そのピンチのときに言葉をかけられることでピンチを脱せれればまだまだ元気はある。全然大丈夫なレベルだ。
でも元気がないときもある。
そんなに自分は強くない。自分が強いかどうか、そういう賭けは私はしたくない。
少しでも自分に余裕があるときはまずモノをあげるようにする。
一種の信託である。
自分へのご褒美も大事だが、
自分がピンチの時に自分が自分がを助けてくれる自信はない。
自分へのご褒美をあげる余裕があるのなら優先して他人にご褒美をあげよう。
普段から周りへの心付けをしておこう。
これが情けは人のためならず、だ。
朝ドラのごちそうさん精神である。
ピンチのときに元気でいられる自信がない人は言葉ではなく、モノ。
人はいつでもピンチになれるから。