AIの台頭は、クリエイターの心に潜む「価値低減傾向」を加速させている。
人間の技術や感性をAIが一瞬で模倣する今、創り手は「自分の存在価値」を脅かされ、深い劣等感を抱きやすい。
その防衛機制として、他者の作品への攻撃性が強まるのだ。
特に、他人が生み出した成果に対し「どうせAI製だ」「プロンプトを入れただけで大したことない」と決めつけ、努力を過小評価する言葉が目立つ。
相手の才能を否定することで、相対的に自分のプライドを保とうとする歪んだ心理である。
かつて物理学者の湯川秀樹は、講義中に学生から黒板の数式の誤りを指摘された際、うなり、考え込んだ末に立ち往生してしまったという。
しかし湯川は、そこで自尊心を守るために学生の指摘をはねつけたり、自分の無知を隠すために相手を貶めたりはしなかった。
彼は「ちょっと待っとき」と言って教室を出ると、数学の同僚である天才数学者・岡 潔を連れて戻ってきたのだ。
岡に間違いを直してもらうと、湯川は「ああ、そうか。なるほどなあ。みんなも分かったか? 授業つづけるで」と素直に認め、何事もなかったかのように講義を再開したという。
このエピソードは、真の創り手や探求者が持つべき「開かれた態度」を鮮やかに示している。
ノーベル賞受賞者という圧倒的な権威があっても、湯川は自らの間違いや分からないことを恐れず、他者の専門性に敬意を払った。
翻って現在のAI時代、私たちはどうだろうか。
自分の領域が脅かされる恐怖から、他人の成果を「AIの小手先のツールに頼っているだけだ」と冷笑し、その価値を強引に低減させていないだろうか。
それは、自分自身の技術や誇りが揺らいでいることの裏返しにほかならない。
この時代を生きるクリエイターは、「どうせAI」という冷笑的な雑音をスルーする強さを持たねばならない。
同時に、技術の優劣やツールの差を超えた「作品に込めた当事者としての魂」や「人間的なつながり」を信じること。
分からないことを認め、他者の優れた部分を素直に称賛した湯川秀樹のように、ツールや環境の変化に怯えない「芯のある誇り」を育むことこそが、他者を下げる必要のない、創り手としての本当の強さを育んでいく。