コンシューマー・ニューロサイエンスがもたらす未来の「こと作り」

従来のアンケートやインタビュー調査には、大きな課題がある。
それは、人は質問に答えるとき、「人から良く見られたい」という見栄や、「理由はわからないが、一応こう答えておこう」という後付けの理屈に無意識に影響されてしまう点だ。

つまり、言葉による回答は、必ずしも本心を映しているとは限らない。
これに対して、心拍の揺らぎや手のひらの微細な汗といった自律神経の反応は、自分の意思ではコントロールできないため、嘘のつけない「本音のデータ」となる。
この「言葉によるリサーチの限界」を象徴する有名なエピソードがある。

あるメーカーが洗濯石鹸を開発する際、主婦を集めて座談会を開いた。
「どんな石鹸が欲しいか」という問いに対して、主婦たちからは「きれいな花の匂いがする石鹸が良い」というアイデアが出され、満場一致で賛同を得た。
しかし、この会議に、本来参加するはずだった製品開発の担当者が遅れてしまい、参加できなかった。
そのため、主婦たちの「花の匂いが良い」という言葉だけがそのまま鵜呑みにされ、製品化されてしまった。
だが、いざ発売してみると、その石鹸はまったく売れなかった。
当時の主婦たちが洗濯石鹸に本当に求めていたのは、頭で考えた「華やかな花の香り」ではなく、汚れがしっかり落ちるという「洗浄力」や「清潔さ」だったのだ。
この失敗の本質は、1985年にコカ・コーラ社がおこした「ニュー・コーク事件」にも共通している。
同社は20万人もの大規模な目隠し味覚テストを行い、データ上「美味しい」とされた新しい味へ切り替えた。
しかし、発売直後に全米から猛抗議を受け、わずか79日後に元の味に戻すという歴史的大失敗を犯した。
のちの脳科学研究(fMRI)により、消費者はコーラを単なる「味(砂糖水)」ではなく、赤と白のロゴから呼び起こされる「家族との思い出」や「アメリカの文化」といった、脳内の感情や記憶で味わっていたことが証明されている。
どちらの事例も、消費者の言葉や目先のデータだけを真に受けた結果、身体や脳の奥底にある「本音の愛着」を切り捨ててしまった典型例である。
面白いのは、かつて大失敗に終わった「花の香りの石鹸」が、現代では洗剤や柔軟剤の不動の定番になっている点だ。
当時は汚れを落とす「不快をゼロにする作業」だった洗濯が、現代ではお気に入りの香りでリラックスする「プラスの体験(こと作り)」へと変化した。
メーカーが技術を進化させ、「高い洗浄力」と「ピュアな香り」を両立させたことで、消費者の脳は「花の香り=きれいに洗い上がった安心のサイン」として新しく学習(条件付け)したのである。
かつては言葉の嘘だったアイデアも、テクノロジーと人間の脳が調和すれば、未来の定番体験へと育て上げることができる。
近年、こうした「言葉の嘘」を乗り越えるため、生体データと、消費者が目にした広告や商品のタイミングを「ミリ秒単位」でぴったりと合わせる技術が進化した。
さらに、スマートウォッチに搭載された加速度センサーを使って、「歩く」「手を動かす」といった体動によるノイズをきれいに取り除くことで、純粋な心の動きだけを取り出せるようになった。
この技術が、商品開発やサービス設計、そして「体験(コト)作り」の現場を大きく変えようとしている。

第一に、商品開発で、これまで感覚的にしか語れなかった「なんとなく好き」を数値化できる。
例えば、新しいパッケージや香りを試した瞬間に、手のひらに汗をかく反応が出れば、本人が口ではどう言っていようとも「本能的に惹きつけられている」ことが分かる。
また、化粧品のフタを開けるときの手応えや、自動車のドアが閉まる音など、微細な刺激が消費者に「心地よさや安心感(副交感神経の働き)」をどう与えているかを一瞬ごとに検証できる。
これにより、言葉に騙されることなく、高級感や使いやすさをデータに基づいて確実に作り込むことが可能だ。
第二に、サービスやアプリの設計において、ユーザーがどこで「イライラ(ストレス)」を感じているかを突き止める強力な武器になる。
お店の中を歩き回る買い物や、スマホでの決済操作の中で、どの瞬間にストレス値が上がったかを時系列で追うことができる。
体動ノイズがカットされているため、「歩いているから心拍が上がった」のか、「画面が分かりにくくてイライラした」のかを正確に区別できる。
その結果、ユーザーが一切のストレスを感じない、スムーズな顧客体験をデザインできるようになる。
第三に、動画広告やWEBコンテンツの制作では、視聴者の感情の変化をグラフ化できる。
動画のどの場面で「ハッと驚いたか」、逆にどの場面で「飽きて退屈してしまったか」が秒単位で可視化できるため、最後まで視聴者を惹きつける完璧なストーリー編集が可能になる。
しかし、ここで一つの重要な懸念が生まれる。
テクノロジーによってすべての摩擦やイライラを排除した「完璧にストレスレスな社会」は、一見理想的に思えるが、結果として人間をひ弱にし、病弱な社会を作りかねないという危惧だ。
人間は、適度な負荷や不便さを乗り越えることで、心身のレジリエンス(復元力や適応力)を維持し、成長させている。
映画やゲームのストーリーが、ハラハラする緊張や悔しさがあるからこそ感動を生むように、体験の価値には「適切な負荷」が不可欠である。
何から何まで先回りして快適に整えられた世界に浸かり続ければ、私たちの脳や身体は、わずかな予測外の出来事に対しても過剰に脆くなってしまうだろう。
したがって、コンシューマー・ニューロサイエンスがもたらす未来の「こと作り」で、この技術は単にストレスをゼロにするための道具であってはならない。
むしろ、時間同期されたノイズレスな生体データを通じて、消費者の心身の状態を精密に読み解きながら、石鹸やコーラのエピソードにあるような「言葉の歪み」による失敗を避けつつ、「人間が適度な耐性をつけ、活力を得るための良質な負荷」をあえて意図的に配置していく動的な体験設計こそが求められる。
作り手が用意した過保護なプログラムや、アンケートの言葉だけに頼った製品を押し付けるのではない。
人間の脳と体が「理屈抜きで心地よい、面白い」と感じる起伏を、その人のその瞬間の状態に合わせて科学的に組み立て、心身のレジリエンスをも育んでいくプロセス。
それこそが、テクノロジーと人間が真に調和した未来の体験価値のあり方なのだ。

ハピネスの変遷 つながるがキーワード

人は幸福になりたいからモノを買うといわれている。
商品をつくったり売ったりする側は
その幸福(ハピネス)がいまどうなっているのか、何が幸福であるのか、どの幸福ならお金をはらいたいのかが一番知りたいところである。

かつて幸福は消費を通して得ていた。
車、クーラー、テレビ、そういう家電などが家庭に入ることで
モノを通して家族間のコミュニケーションを取り、幸せを感じたものだ。

それがやがて
「消費は幸福を支えるにたりない時代」となり、
いまは「幸福だから消費する時代へ」(『幸福の方程式』山田 昌弘 ディスカヴァー携書
とかわってきた。

もう少し詳しく説明すると

  • 戦後は基本的欲求  とにかく食べれればいいという時代。
  • 1950年代は雷同   付和雷同。自分もテレビが欲しい、という価値観。
  • 1960年代は優越   隣のクルマが小さく見えます(サニー)というコピーの通り、高度経済成長の時代らしい見栄。
  • 1970年代は差別化  モーレツからビューティフルへ(ゼロックス)というコピーの通り、他人と違う物ものを手に入れたいという価値観。
  • 1980年代は主観化  くうねるあそぶ(セフィーロ)にみられるように自分らしい暮らし、価値観がメインに。
  • 1990年代は適正   いわゆる身の丈にあった暮らし。

が価値観の基本だそうだ(『シンプルマーケティング』森行生  SHOEISHA)。

そしていまは幸福だから消費する時代、
つまり幸福感を与えてからでないと
消費に人は向かわないということである。

まず幸福にする。

幸福を持続させるには消費(ご購入)をしていただく、という仕組みをどうつくるかということだ。

つながる、というのがキーワードだという。

LINEのスタンプなどは直接自分のために買うのではない、
特定の人とつながりたいから、相手の反応をひきだしたいから買う類の消費だ。
まず与えるということ、がこれからの消費であり、ハピネスのとっかかりである。

参考文献 『幸福の方程式』山田 昌弘 ディスカヴァー携書
『シンプルマーケティング』森行生  SHOEISHA