ソーシャルグッドな取り組みを

現代の資本主義は、私たちの思考を支配する「文脈」そのものだ。
深井龍之介氏が指摘するように、それは労働力の市場化、金銭動機への一元化、価値の数値化、生産人口への依存、資本の自己増殖という5つの特徴に規定されている。

このシステムは物質的な豊かさをもたらしたが、今や「本当に意味のある指標の欠如」という壁にぶつかっている。
近年、環境や社会への配慮を測る「ESG投資」が注目されているのも、従来の金銭的リターン以外の指標をシステムに組み込もうとする、資本主義の機能補正の表れと言える。

本能で動く「真社会性」の蟻とは違い、人間は信頼や倫理を共有して協力する「超社会性」の生物だ。
しかし、この超社会性に根ざした幸福の指標はいまだ未確立であり、物差しがないゆえに富の分配や最適化が機能不全に陥っている。

上からの制度や投資マネーの変革を待つだけではなく、私たちは足元から動くべきだ。
ソーシャルグッドな取り組みを自ら提示し、互いに見せ合う草の根の可視化。
この相互開示こそが、ESGの精神を真に血の通ったものにし、資本主義の次なる文脈を紡ぎ出す第一歩となる。

眼鏡クリーナーに隠された「日本クオリティ」の罠と真実

毎日何気なく使う眼鏡クリーナー。
ある日、別の製品を使ったとき、レンズの隅に残るわずかな水滴に違和感を覚えた。
調べてみると、お馴染みの小林製薬の製品には「イソプロピルアルコール(IPA)」、他社製には「エタノール」が使われていた。
どちらも石油の「ナフサ」から生まれる兄弟のような存在だが、その性質は大きく違う。
IPAは安価で油汚れに強い反面、毒性や揮発性が高く、扱いが難しい素材だ。
しかし日本の高い技術は、完璧な気密性を持つ個包装によって液の乾燥を防ぎ、拭き跡を残さない極上の快適さへと昇華させていた。
見えない部分に投資を惜しまない「日本クオリティ」の真髄がそこにある。
ここでふと思う。

「原材料が安いIPAなのに、なぜ他社より高いのか。どうせ広告宣伝費のせいだろう」という先入観を少し抑えて、自分の頭で調べ直してみる。
すると、安価な素材の短所を高度なパッケージ技術で補うという、知らなかったメーカーの真摯なものづくりの思いに辿り着いた。
しかし同時に、私たちはこれほど緻密な技術の価値を、あまりにも「安く」手放しすぎてはこなかっただろうか。
「良いものをどこまでも安く提供する」というかつての美学は、今や日本経済を縛る呪縛となり、現場の豊かさを阻む原因になっている。

物売りから「体験の提供」へ。
この埋もれた価値を魅力的なストーリーとして伝えた方が人はその体験とおもいを共有し、いい方向に流れるような気がする。

弁護士は中立ではない

弁護士は中立ではない。
法の下の平等という言葉と中立という言葉をごっちゃにした勘違いである。
「法の下の平等」はすべての人を同じルールで裁くことを意味し、「中立」は特定の立場に肩入れしないことだ。
法の下の平等は不当な差別を禁じる一方、必要に応じて格差是正(実質的平等)を求めることも可能であり、一見似て非なる概念である。

こういう勘違いから弁護士は中立的な立場にたって、正義のもと、客観的な判断をしてくれるはずだ、そう信じたいのに、という不満が生まれる。
弁護士はあくまで依頼者のために仕事をこなす。
だからこそ、逆に中立ではない判断をし、相手側を完膚なきまでに断罪しようとする。
良心にとがめるものがあれば和解をおすすめするか、場合によっては弁護士をおりる。

弁護士の活動はあくまで依頼事案に対してである。
長期的視野で依頼者の利益になるかとうかは依頼者の経営判断の問題である。
弁護士は依頼された案件のみについて適正に対応する。
顧問弁護士の場合、経営者とご相談するのかもしれないが、最終判断はあくまで経営者だ。
弁護士は経営コンサルではない。

いまどき、情報だけなら弁護士・法務向けの有償オンラインライブラリであるBUSINESS LAWYERS LIBRARYが「ジュリスト」のバックナンバーを収録しており、「AIアシスタントで検索する」機能が搭載されているので、判例は簡単に調べられる。
弁護士.comもある。

問題が発生して、どういう判断をしたらいいのか、いまはAIを駆使することで大まかに理解、対処できる。
いざ裁判となったときだけ、味方側の代理人、執行人として実務者としての弁護士を雇えばいい。
間違っても、おおきい経営判断にかかわりそうなことを弁護士にさせるべきではない。

フジはなぜ大きい判断を常に外部にまかせるという考え、方針なのか、どうも理解できない。
現場には大人がいないのか。
タレント同士のいざこざなど大企業にとってはたいしたことではないとみているのか。
ドラマにもバラエティにもでてくれなくなるぞ。
ピンチはチャンスなので
AIで俳優をつくるという一番新しいドラマ制作体制に移りたいのか。

自販機自体にwi-fiを

自動販売機のジュースが売れていないそうだ。
コカコーラは自販機事業で881億円超の減損計上(2025年12月期第2四半期(2025年1〜6月期)の決算発表)している。

飲料を求めている人がコンビニに流れたり、砂糖を多く含む清涼飲料水を避ける人が増えているからだそうだ。
また小銭にしか対応していない自販機が多いため、キャッシュレス社会には不向きな点も指摘されている。

サントリーやコカコーラがキャッシュレスに対応したアプリなどを自販機に対応させることで自販機から離れていく人を食い止めようとしているが、健康飲料を求めている人やコンビニの方が居心地が良くて種類も豊富という人にはどうしようもない。

自販機自体にwi-fiをつけるという案が以前あったような気がするが、携帯の充電に対応して、飲み物もセットで購入できるなど(逆に購入時に充電を何分かできるなど)することも可能かとおもうが、費用がとんでもなくかかるからできないのだろうか。

街の自販機が減るのはとても不便になるので、色々対策はしてほしい。

原価計算は1920年代の現実

従来の原価計算は、1920年代の現実に即した仕組みのままである。
そのため、基本的には「生産時点のコスト」しか把握できないという大きな課題を抱えている。

1920年代当時は、原材料を除く総コストのうち、肉体労働者による直接労務費が80%も占めていた。
しかし現代では、直接労務費がこれほどの割合を占める業界は一部を除いて一般的ではない。
つまり、従来の原価計算のやり方は現代の実情に全く合っていないのだ。

たとえば、飲食店で売れ残って廃棄される商品の費用を考えてみよう。

これは通常の原価計算には含まれない。
しかし実態として、飲食店では「完売」よりも「一定の廃棄」を前提とする方が現実的である。
そうであれば、予想される廃棄分の費用はあらかじめ原価に見込んでおくべきだと言える。
ビジネスモデルが大きく変化している以上、原価計算の手法も変えなければ正しいコスト把握は不可能である。

京セラ創業者の稲盛和夫氏も、こうした実態を踏まえた独自の原価管理を行い、
経営を正しくコントロールしていたと著書に記している(「アメーバ経営(時間当り採算制度)」)。

既存の枠組みを疑い、ビジネスの実態に即してコストを捉え直す洞察力。
これこそが、現代の経営者に求められている本質ではないだろうか。

識学と過学習:効率至上主義がもたらす組織の限界と、その「適材適所」

現代のビジネス界で、徹底的なルール化と属人性の排除を掲げる組織論「識学」は、多くの経営者に支持されてきた。
しかし、変化の激しいAI時代に、この管理手法は無視できないバグを抱えている。
それは、統計学や機械学習の世界で避けられる「過学習(オーバーフィッティング)」の現象と完全に一致する。
特定の環境に最適化されすぎたシステムは、未知の変化に直面した瞬間に機能不全に陥るリスクがある。

過去のデータへの「過学習」という罠

統計学での過学習とは、手元にある過去のデータ(訓練データ)にモデルを適合させすぎた結果、新しい未知のデータ(テストデータ)に対する予測精度が著しく落ちてしまう現象を指す。
識学は、過去の成功パターンや現在の環境を「絶対のルール」としてマニュアル化し、組織をそれに過剰に適応させようとする。
しかし、予測不能な市場の激変といった「未知のデータ」が飛び込んできた瞬間に、最適化されすぎたルールは一冷えして陳腐化し、イノベーションを阻む壁へと変わる。
社員から独自のアイデアや属人性を削ぎ落とし、ルール通りに丸くしてしまうアプローチは、変化への対応力である「汎化性能」を失わせるリスクを常に孕んでいる。

識学というシステムが機能しうる限定的な領域

とはいえ、この「過学習」のリスクを孕むシステムも、すべてのビジネスで全く無意味になるわけではない。
市場の変化が極めて緩やかで、決められたルールを寸分違わずに実行することが求められる特定の業界や職種では、今なお一定の合理性を持っている。

例えば、以下のような領域がそれに該当する。

  • インフラ・医療・プラント運営:命や社会の基盤に関わる現場では、個人の「ひらめき」や「勝手なアレンジ」は重大な事故に直結する。
  • 製造業の品質管理やルーティンワーク:均一なクオリティの大量生産が求められる環境では、感情を排したルール厳守が品質維持に直結する。
  • 未経験者を大量採用する定型業務:個人の能力差に関係なく、仕組みの力だけで一律の成果を出せる状態を作る上では、一定の機能を果たす。

「型」を頑なに守り続けること自体がビジネスの前提条件である領域においては、識学のような管理手法もまだ完全に役割を終えたわけではない。

デザイナーの視点:効率的なマニュアルからは「愛される製品」は生まれない

しかし、デザインの現場に身を置く人間として、この思想には強い違和感を覚えざるを得ない。
なぜなら、市場で人々に長く愛され、ブレイクスルーを起こすプロダクトやサービスは、効率的なルールをなぞるだけでは絶対に生まれないからだ。
たとえば、あるスマートフォンのアプリ開発で、仕様書や過去の成功データ(ルール)通りに画面をレイアウトすれば、平均点の製品は最速で完成する。
しかし、それでは競合に埋もれる。
本当にユーザーの心を動かすのは、データには現れない「ユーザーが本当に困っている瞬間」を泥臭く観察し、マニュアルにない仮説を立て、何十通りものプロトタイプを作っては壊すという「一見、極めて非効率な試行錯誤」のプロセスである。
開発者の「もっと良くしたい」という執念や主観(属人性)こそが、プロダクトに命を吹き込む。
人間を機能として縛る組織では、この「良質なノイズ」がすべて無駄として切り捨てられてしまう。

結論:「鉄の檻」を打ち破る、デザイン思考の可能性

私はデザイナーという立場上、人間を単なる「役割(機能)」へと還元し、属人性やクリエイティビティを排除しようとする識学の思想には、根本的な部分で賛成することができない。
人間を社会の流通物や資材、つまり代替可能な「パーツ」として扱うことは、近代資本主義が抱える根本的な問題点そのものである。
マックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で予言した、宗教的・人間的な情熱が失われ、非情な合理性のルールだけが人間を支配する「鉄の檻」的状況――それこそが識学の行き着く先だ。
人間を資材として使い潰すシステムは、本来どこかで解決されなければならないはずの資本主義の病理を、むしろ悪化させている。
そして今、AIの台頭と資本主義の限界が重なるこの転換期に、その「鉄の檻」はまさに破綻の時を迎えているのではないか。
これからは、人間を機械に最適化させる古い管理論ではなく、人間を中心に据えた「デザイン思考(あるいはデザイン学)」によってこの構造的欠陥を解決していく方法が、もっと研究され、可能になると信じている。他者への深い観察と共感、そして試行錯誤という人間の「属人性」から出発するデザイン思考こそが、人間を資材から解放し、AI時代に真の豊かさと組織のあり方を再定義する鍵になるはずだ。

川を上り、海を渡る

「川を上り、海を渡る」とは歴史を遡り歴史の源流を探求することと、海外に学ぶことを意味する比喩である。

いまおこっていることの事例を探し、次の展開を予想する。
その予想にあわせてあらかじめ準備し、行動するという意味になる。

あらゆる事象が物理現象のように正確にあちらこちらで繰り返されるわけではない。

しかしながら、繰り返されてる部分もかなりあるので、「川を上り、海を渡る」精査をすることは間違いとはいえないということだ。

AI時代だからこそ、この辺りの精査はかなり重要だ。AIは目的をもって仕事をしているわけではないので、モチベーションにかけてすることはない。何事も合理的で、しんがりは自らしない。

アクションと一見無駄な行動

全財産を失ったカーネル=サンダース、65歳。
彼に唯一のこったのはフライドチキンの調理法だけだった。

さて、彼はどうしたか。
調理法をレンタルしようと考えた。
売れたチキン一羽につき5セントが得られるという新しいビジネスモデルである。

これが本格的なフランチャイズシステムの始まりである(世界で最初にフランチャイズの仕組み(製品の販売権を与える代理店方式)自体を考案したのはアメリカの「シンガー・ミシン社」。1850年代。)。

フランチャイズなどどこにもない考えだった。
当然、最初はうまくいかなかった。
どの店もあえて彼の調理法をレンタルしようとはおもわなかった。

途方に暮れながらもサンダース夫婦はいろんな店にフライドチキンのフランチャイズを売り込みをつづける。
その年、最初のフランチャイジーとなった第一号店の店員が
たまたま来た訪問セールスにマンに必要もない紙コップを買かわされたて
そのコップの使い道に困っていた。
しかたなくその大量にある紙コップにフラシドチキンをいれて
店頭売りをしたのだが、それが好評で、噂が噂を呼び、
テーブルもない店舗でも彼のおいしいチキンが持ってかえってたべられる(テイクアウト)というのが世間に受け、一気にフランチャイズが広まった。

テイクアウトの元祖である。

  • + 圧力鍋を使った秘伝の調理法
  • + 知恵をうることしかなかったために考えたフランチャイズ
  • + 処分に困った紙コップ
  • + やってみたテイクアウトセールス

アクションとセレンディピティがこれらをつなげた。

  • + 一見不必要に思えるものを受け入れる
  • + アクションをつねにおこなう
  • + それからいろんなことは始まる

ポイントはアクションと一見無駄な行動かもしれない。

携帯電話は90グラム

もはやスマホに取って代わられた携帯電話、いわゆるガラケー(ガラパゴス携帯)。
そのガラケーも最初から売れていた訳ではない。

なぜだかわからないが90gをきったあたりから急に売れだしたのである。
この90gにはいったいなんの意味があったのか。

ガラケーより確実に重いスマホ全盛期の今の時代にそれを問うことはもはやナンセンスだ。
身体とガジェットの関係がもっと明確にわかればいろいろとものをつくるときに役に立ちそうだが、ビジネスの世界ではそこを深掘りするのではなく、携帯のようなものがあらわれたきに90グラムは参考にした方がいいということだ。

参考文献『ビジネス難問の解き方』唐津一(著)PHP新書