お気に入りのスマホを、自宅のトイレットペーパーホルダーに置いた瞬間に滑り落ちる、あの無味乾燥な滑落。
世の中には「なぜそこを斜めにした?」と問い詰めたくなる不親切な天板が溢れている。
公共のトイレならいざ知らず、置き忘れてもすぐ見つかる自宅のホルダーくらい、堂々と水平であってほしい。
一方で、コインロッカーの絶妙な傾斜や、雪国の命を落とさないための屋根のように、物理法則や人間の行動心理を味方につけた「必然の斜め」には、美しさがある。
名もなき職人が作った民藝品が今なお愛おしいのは、その形になるための切実な理由が先にあるからだろう。
使う人を置き去りにした表面的なおしゃれはただの自分のための「アート」であり、暮らしの理由から滲み出る形こそが、私たちの日常を静かに支える本当の「デザイン」なのだと思う。
現代アートは皮肉の応酬に入っているのでどうも好きになれないが、本来の意味でのアートはとても好きだ。
もっと日常の商品はアートであってほしいというのは本心で、ならばいっそ斜めのカーブのような少しだけ寄り添うようなことをせずに、トイレットペーパーホルダーを斜めにしてしまえばよい。
日常に刺激をふくませるのはよいことだ。
デザインでいくならデザインで、アートでいくならアートで。
中途半端だからいけない。
