7つのトリガー

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ダイレクトレスポンスマーケティング分野の第一人者、
ダン=ケネディ氏の著作や動画を見ていると非常に勉強になります。
購入の際のトリガー、つまり購入のきっかけとして彼が上げている7つのポイント(主要なドライバー<駆動装置>は50ほどあるみたいですが。)をちょっと備忘録として書き留めておきます。

1.恥ずかしい状態をつく 〜見劣りする車、負け組、贅肉のついた体など〜
2.感情的な痛みは現実的な痛みより強力である 〜懐に余裕がない、恋人に振られた、家主にでていけといわれたなど〜
3.相手の憤り、怒り、反感の状態に入り込む 〜
4.神秘性でつつむ 〜
5.リベンジ、汚名挽回 〜
6.恐怖・不安をあおる 〜
7.欲・なまけごころにつけこむ 〜
順不同

子供考

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振り返るとこども向けのコンテンツ開発にずいぶん携わってきたことに気づきました。
その多くは科学館、博物館用で、子供のユーザーをかなり意識してつくります。
子供の動きはこうなっていて、子供の理解の範囲はこのあたりかな、などなど。

さて、ヨーロッパでは中世ごろまでは子供という概念はなく、
小さい人という捉えかただったそうです。
子供は保護の対象ではなかったのでしょう。
ですから結構小さい時から普通に労働をしています。
小さいだけで同じ、人 として扱われていたということです。

小さいだけで同じ、人 として子供をほんとうに捉えて問題はないのか。
子供の動きを観察しているとどうもそうは思えません。
たとえば大人だと壁に向かって手などの操作をすると反応するというコンテンツにしても子供は壁を直にさわったり体を引っつけたりします。これは大人では見られない行動のひとつです。子供特有の走り回るという行動、これもおとなはしません。

大人は考えて、世間を見て、世間から見て世間体のもと行動するのとそうじゃない子供、この違いで見た場合、走り回るか回らないかの行動は世間が見ているというリミッターがあって大人はしないと説明できますが、壁を直にさわるという行為が世間からみたハシタナイというリミッターでは説明しくくなります。壁になにかがあると感じて即行動にでるのか、壁にしかけと考えずに天井あたりにあるカメラをみてあれがしかけとすぐに察するのか、そのあたりはインタビューをしていないのでわかりませんが、好奇心そのままに行動を大人はしないと考えれば説明がつくのでしょうか。おいおい考えていきたいテーマです。

角丸の時代は随分長く

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角丸の時代は随分長く、私がデザインをし始めた1990年当初は角丸はつかうな、ダサいといわれていました。
クォークエクスプレスというレイアウトソフトの操作マニュアルにも角丸はダサいとわざわざ書かれていました。

そのあとバブルが弾けて、女性の時代になり、角丸が少しづつモテはじめました。
失われた20年、まだ角丸の時代はつづいているようです。

福井県にある若狭三方縄文博物館 DOKIDOKI館で
発掘された縄文土器をみていると
古来から日本人はかわいいもの、まるみのあるものが
どうも好きなようですと紹介されていました。

ですから基本的には日本人は角丸が好きなのかもしれません。
人気のマック製品も角丸だらけです。日本市場を重視しているのかもしれません。

クォークエクスプレスの技術本もよく考えたら翻訳している教本ですから
書いたのは米国人だったような気がします。
ならば米国人の余計なお節介なのかもしれません。

ひらがなの例をみるまでもなく
日本人はずっと角丸が好きなんです。

等覚一転名字妙覚と星の王子様

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法華経のことばに「等覚一転名字妙覚」というのがあります。
等覚(仏になる覚り)の先に究極の覚り(妙覚)があるのではなく、究極の覚り(妙覚)は足下にあるという意味です。

デザインをしているとついつい西洋風なものになってしまいがちです。
大阪でデザインをしているから大阪風にするという意味ではありませんが、自身が吸収し、みている世界は大阪です。
足元、周辺を再度よく見つめ直し、その中で答えを感じ作り出せばおのずと足元に根をはった実感のこもったものになるのではないか、そういうことをおもいおこさせてくれるいい言葉です。

いい言葉なので目に見えるところに貼っておこうとおもいます。
そういえば愛読書の「星の王子様」やパウロ・コエーリョの「アルケミスト – 夢を旅した少年」が同じことをいっていました。
古今東西で語られるとなるとこれは究極の真理なのかもしれません。

ミレービスケット

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阿倍野のスタンダードブックスによるとついつい書籍と一緒にレジ前のミレービスケットを購入してしまいます。
あきのこない味付けのビスケットで天日塩を使用しています。
天日塩は約2年かけて貯水池から結晶池にむかって海水をゆっくりと流していく方法でつくり、海水本来の風味をダイレクトに味わうことができます。

またビスケット生地にはブドウ糖がはいっているので
終日机にむかってプログラムを組むときにはとても脳の活性化によいのではとおもっています。

ちなみにスタンダードブックスで買うと183円ですが、アマゾンで買うと270円です。
あわせ買い対象商品なので単独ではかえません。
なにかのついでにどうぞ。

人間の目は5億7,600万画素

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ロジャー=N=クラーク氏によると人間の目は5億7,600万画素だそうです(人間が見分けられなくなる最小の幅を0.59分(60分=1度)として計算)。
最高峰のデジタルカメラで7,500万画素ですから、解像度の高さはデジタルのはるか上をいっているということです。

ただ画素数が増えるだけだと受光面積は小さくなりますから(受光素子に外枠があるので、分割すればするほど受光部分は小さくなります)必ずしも画素数が大きい=解像度が高いというわけではありません。

ちなみに地平が完全に水平の場合、目は最大でおよそ50km先まで見えるそうです。
センサーとしての人間のポテンシャルは思った以上に高いのかもしれません。

中世ヨーロッパの方法論と資産としての時間

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中世ヨーロッパの大学では一冊の本が与えられ、完全に暗記するまでは次の本を読ませてもらえなかったそうです。
変動が激しく動きの早い現代でそのやり方をしていては問題や課題は解決できませんので、過去はそうだったということの事例としてしか意味のないエピソードです。
1994年から2004年の間でさえ、情報量は400倍にもなっています。

この間、インターネットがはじまり、メールが一般化されました。
2004年といえばmixiが登場しています。2004年から2018年の現在までにSNS関係やアマゾンなどに見られるネットショッピングの一般化とスマホの常態化がおこっています。
つまり2004年以後は400倍どころではないと推測できます。根拠になる資料が見当たらないのでこれはあくまで推測です。
さてこのエピソードとしての中世の方法論、つまり一冊一冊完全に暗記して次に進むという方法論は当時でも意味があったのでしょうか。
暗記というのはただ覚えるだけでなく、覚えることによって文脈の理解を深める効果は確かにあります。
日本国憲法の前文を中学生時代に丸暗記するという社会の授業があっていまでも時々諳んじながら、何かの討論番組で憲法の話になると前文ではこう書いてあってこう解釈できるんだという話で、そういう解釈はできるのかなとすぐにその場で考えることはできます。そういう意味で丸暗記は即時性という便利さを備えています。
別の例だと大学入試用の数学の問題はZ会の1,000問ほどの問題例と解答を覚えていたことで、これはこういう応用かと出題に対して対応できた記憶はあります。仕事柄javascriptやPHPを触る際もまさしくその延長で、この方式とこの方式の掛け合わせで対応できるかなというのは丸暗記の良さではあります。これはデザインする際も同じで、丸暗記は否定どころか肯定すべきことにおもえます。
さて、では1冊を暗記してから次に進むという方法論は時間がかかりすぎるので今は無理だとして、当時はそれで通用していたとするならばそこに資産としての時間というのがさほど重視されていなかったのかと推測できます。
急ぎの仕事はない、時間を短縮することのメリットはさほどなかったということです。
1995年くらいまでのデータのやり取りはMOにデータを焼いて電車や自動車で運んでいました。それでいまよりデザイン料は高かったのです。はやくする必要も今ほどはなかったような気がします。
たった20年でもこれくらい変わっています。
過去の歴史で時間が資産であったという例がないということです。
時間を資産として捉え、どう資産にしていくか、これは過去からは学べないということです。

決め事はすべからく

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決め事はすべからく最終結論ではありません。
プログラム言語をみてもそうです。たいていは今のところこれで、という仮に過ぎません。決め事はあくまで、仮なのです。
たとえば真偽値はC言語の場合0が偽でそれ以外は真ですが、Rubyは0が真になっています。正確にいうと「Rubyではfalseとnilが偽で、それ以外は0も真」です。
Javaにいたっては真偽値の型をもっていて条件式はその型でなければなりません。0は整数値であって真偽型ではないので条件式に0と書くとコンパイルエラーとなります。決め事はこのようにそれぞれの都合でなりたっている、だけのことなんです。

何らかの都合でいまそう決めている、もしくは担当者のなんらかの思いつきや文献にかいてあることをもってそうなったということは割と良くあります。
たとえば省エネでのオフィスの室内温度設定28度は何の科学的根拠もなく決められました。1966年の厚生科学研究「ビルディングの環境衛生基準に関する研究」(小林陽太郎)が根拠とされていますが、どこにも28度であることの科学的な根拠は示されていません。
戦前から60年前後にかけての研究です。なんの科学的根拠もない数字が一人歩きしているというのがこの28度の悲劇の真相です。
決め事はこうして決め事になったという例のひとつです。
さて、その根拠は、といったん調べてみることがこれからの時代は大事な気がします。(ここ詳しい調査が紹介されていますのでご興味なる方はご一読ください。)

これからは直感と観察が大事だというのはドラッカー氏の洞察ですが、観察とはそれがそれであるための根拠はどこにあるのか、いわゆる充足理由律を探しながらものを見るということではないかと私は解釈しています。

色の効能

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物質に吹き付けられているアナログの ”色” は色材の抽出から得られ、色材は顔料や染料で、その産地情報や技術書は古くから多数のこっています。
産地を記した資料や技術書が多数残っている理由は人々が文化的に意識が高く芸術を愛したからというのではなく、色材の主な役割が医学的効能にある、つまりお腹が痛いのをなおす、など実用性があったからだといわれています。

色がただその耽美主義からの美しさ、癒し、モチベーションの源になって求められている部分は多少あるのかもしれませんが、それよりももっと現実的実践的な効能を人々は色材にもとめていたということです。

茜は黄疸に効き、石黄=雄黄は抜毛に聞くといわれています。ただ石黄は毒性があるため、いまは使用されていません。

科学が発展したためか、現代はあまり色に対して医学的な効能を求める感じはありませんが、それでも例えば青色発光ダイオードは鮮度を保つ効能があったり、自殺を防ぐのに青いライトを環境光として駅舎などにともすなどの効果は認めれられ、今後の活用を待たれています。
色は波長で、水分をたっぷり含んだ細胞は波長の海の中に漂っていると考えると色=波長を安易にかんがえるのではなく、色をどうコントロールするかでもっとよくなることはあるような気がします。

フランシスは豆の煮込みの味がする

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フランシスという名前は「豆の煮込みの味がする」そうです。
共感覚者の意見です。

共感覚とは五感のうちのひとつが刺激されるとその感覚ともうひとつ別の感覚も反応するという現象をいいます。たとえばひどい頭痛はぎらぎらするオレンジ色だとか、そういうアート感覚です。2万人にひとり(2,000人にひとりという推定値もあります)、そう感じる人がいるそうです。

おもしろがっている訳ではありませんが「あなたの文字や数字はなにをするの?」という質問がでてきたりする、そういう感覚はものをつくる職業人としてはとてもうらやましい限りです。
ただし、汎用性がないのでくせのあるデザイン、ものづくりにはなります。