決め事はすべからく

決め事はすべからく最終結論ではありません。
プログラム言語をみてもそうです。たいていは今のところこれで、という仮に過ぎません。決め事はあくまで、仮なのです。
たとえば真偽値はC言語の場合0が偽でそれ以外は真ですが、Rubyは0が真になっています。正確にいうと「Rubyではfalseとnilが偽で、それ以外は0も真」です。
Javaにいたっては真偽値の型をもっていて条件式はその型でなければなりません。0は整数値であって真偽型ではないので条件式に0と書くとコンパイルエラーとなります。決め事はこのようにそれぞれの都合でなりたっている、だけのことなんです。

何らかの都合でいまそう決めている、もしくは担当者のなんらかの思いつきや文献にかいてあることをもってそうなったということは割と良くあります。
たとえば省エネでのオフィスの室内温度設定28度は何の科学的根拠もなく決められました。1966年の厚生科学研究「ビルディングの環境衛生基準に関する研究」(小林陽太郎)が根拠とされていますが、どこにも28度であることの科学的な根拠は示されていません。
戦前から60年前後にかけての研究です。なんの科学的根拠もない数字が一人歩きしているというのがこの28度の悲劇の真相です。
決め事はこうして決め事になったという例のひとつです。
さて、その根拠は、といったん調べてみることがこれからの時代は大事な気がします。(ここ詳しい調査が紹介されていますのでご興味なる方はご一読ください。)

これからは直感と観察が大事だというのはドラッカー氏の洞察ですが、観察とはそれがそれであるための根拠はどこにあるのか、いわゆる充足理由律を探しながらものを見るということではないかと私は解釈しています。