中世ヨーロッパの方法論と資産としての時間

Reading Time: 2 minutes中世ヨーロッパの大学では一冊の本が与えられ、完全に暗記するまでは次の本を読ませてもらえなかったそうです。
変動が激しく動きの早い現代でそのやり方をしていては問題や課題は解決できませんので、過去はそうだったということの事例としてしか意味のないエピソードです。
1994年から2004年の間でさえ、情報量は400倍にもなっています。

この間、インターネットがはじまり、メールが一般化されました。
2004年といえばmixiが登場しています。2004年から2018年の現在までにSNS関係やアマゾンなどに見られるネットショッピングの一般化とスマホの常態化がおこっています。
つまり2004年以後は400倍どころではないと推測できます。根拠になる資料が見当たらないのでこれはあくまで推測です。
さてこのエピソードとしての中世の方法論、つまり一冊一冊完全に暗記して次に進むという方法論は当時でも意味があったのでしょうか。
暗記というのはただ覚えるだけでなく、覚えることによって文脈の理解を深める効果は確かにあります。
日本国憲法の前文を中学生時代に丸暗記するという社会の授業があっていまでも時々諳んじながら、何かの討論番組で憲法の話になると前文ではこう書いてあってこう解釈できるんだという話で、そういう解釈はできるのかなとすぐにその場で考えることはできます。そういう意味で丸暗記は即時性という便利さを備えています。
別の例だと大学入試用の数学の問題はZ会の1,000問ほどの問題例と解答を覚えていたことで、これはこういう応用かと出題に対して対応できた記憶はあります。仕事柄javascriptやPHPを触る際もまさしくその延長で、この方式とこの方式の掛け合わせで対応できるかなというのは丸暗記の良さではあります。これはデザインする際も同じで、丸暗記は否定どころか肯定すべきことにおもえます。
さて、では1冊を暗記してから次に進むという方法論は時間がかかりすぎるので今は無理だとして、当時はそれで通用していたとするならばそこに資産としての時間というのがさほど重視されていなかったのかと推測できます。
急ぎの仕事はない、時間を短縮することのメリットはさほどなかったということです。
1995年くらいまでのデータのやり取りはMOにデータを焼いて電車や自動車で運んでいました。それでいまよりデザイン料は高かったのです。はやくする必要も今ほどはなかったような気がします。
たった20年でもこれくらい変わっています。
過去の歴史で時間が資産であったという例がないということです。
時間を資産として捉え、どう資産にしていくか、これは過去からは学べないということです。